2012年3月13日火曜日

日経『受動的な無責任改めよ』

石橋湛山
今朝もモーニングで日経の「経済教室」を読んでいた。今日の小論は、日本政治が専門の北岡伸一東大教授のものであった。タイトルは『「受動的な無責任」改めよ』というもので、大震災という国難への対応をめぐっての日本の政治批判といった内容だった。なかなか示唆に富むものだったので、手帳に書きとどめておいた。今日のエントリーはその紹介としたい。

『多くの人が「安全・安心」を強調する。しかし大事なのは安全の確保であって安心の確保ではない。安心を強調するのは、実はお上に依存するということである。国民が安心を求め、リスクをゼロにせよと言えば、政府はこれに答えてリスクはゼロだと言う。こういうフィクションはやめるべきだ。人生はリスクに満ちている。リスクを直視し、これをできるだけ減らすように様々な努力をし、あとはリスクを取って行動することが必要だ。日本の経済発展の停滞も根源にあるのはリスクを取らない精神ではないだろうか。』

『石橋湛山の大正12年10月の「精神の振興とは」の中に、次のようにある。亡びゆく国民なら知らぬこと、いやしくも伸びる力をもつ国民がこの位の災害で意気喪してはたまるものではない。心配はむしろ無用だ。…傾聴すべき言葉である。』

この論の前半にこんなことも書いてあった。小選挙区の本場であるイギリスでは、20世紀に3度の連立政権を組んでいる。第一次世界大戦、世界大恐慌、第二次世界大戦である。国家の危機に大連立することは、むしろ常道である。

なるほどと思うのである。私も含めて、いいかげんにしてくれと、国民の多くは思っているはずだ。与野党含めての私心にまみれの権力闘争にはもうウンザリである。

先日、震災後、地元の岩手県に戻ったというある大物政治家の記事を読んだ。大震災後これが2度目だと言う。裁判については国策捜査っぽいので私は同情的だったのだが、震災に苦しむ地元をなおざりにできる「人としての」姿勢に、天下国家を語る資格が彼にあるのだろうかと思ってしまうのだ。

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