2011年11月2日水曜日

『世界最悪の鉄道旅行』を読む

下川裕治の「世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ」(新潮文庫11月1日発行)を読み終えた。土曜日に梅田のJ堂で買ったので、4日間で読んだことになる。通勤時間やページ数から見るとかなり早いといえる。その最大の理由は、なにより面白かったからである。私自身は、下川裕治の本をかなり読んでいる。貧乏旅行作家という凄い肩書きをもつ彼の本は独特の世界がある。

今回の旅は、バスで東京ーイスタンブール間を旅したり、格安エアラインで世界一周をしたのだから、なんとなく次は鉄道という安易な発想である。下川裕治は、以前シベリア鉄道にも乗った経験があるので、ユーラシア最東端から最西端へというルート、それも中央アジアのルートを選んだらしい。中央アジア、特にグルジアやアルメニアなどの国々のことを書いたバックパッカー系の本はあまりない。で、ついつい授業の合間などに読んでしまうのであった。

タイトルに”世界最悪”とあるが、決して誇張ではない。様々な困難が起こる。中国の公安に拘束されたり、40℃を超える炎熱の車内でクタクタになったり、ロシア国内では、前の列車が爆弾テロで破壊され、大幅な遅れが出てビザが切れたり、フランスではストライキに遭遇したりと、たいがいな旅である。下川裕治の旅はいつもそうである。ホント酔狂なのである。さて今回の本の中で印象に残った個所を挙げてみる。

昨日、前任校の中国修学旅行でお世話になった王さんからメールがきた。無茶苦茶嬉しかったのである。王さんは、もちろん漢民族なので、多少失礼かもしれないが、私は下川裕治の次の記述は正しいと思っている。ウルムチのビザオフィスでの記述。『漢民族の世界はどうしてこうも激しくなってしまうのだろうか。体から発散されるエネルギー量が多いのだ。もちろん声も大きい。これが人口圧というものかもしれない。』中国を見事に表現している。これには王さんも苦笑せざるを得ないと思う。(笑)

カザフスタンからウズベキスタンへ向かう列車で出会った朝鮮系ウズベキスタン人の女性の話。彼女の両親は朝鮮が南北に分断される前に旧ソ連に渡った。そして崩壊と同時にウズベキスタンに移ったのだという。「タシケント(ウズベキスタンの首都)には韓国系のウズベキスタン人が多いんです。」「どのくらい?」「たぶんロシア人と同じくらいいいるんじゃないかな。」私は、なるほどと膝を打った。私の好きなアシアナ航空(韓国の全日空という感じの航空会社。私はアシアナ航空でNYへ行った。安いし、アテンダントも綺麗だし、サービスも良い。)が、ウズベキスタン路線を運航している理由が、やっとわかったのだった。

中央アジアの国々の差異を、下川裕治はうまく表現している。ちょうどウズベキスタンの独立記念日(9月1日)に入国したからだが…。「中央アジアの国々の独立記念日はこのあたりに決められている。それは旧ソ連から突き付けられた最後通牒の日付でもある。いや満足な交渉すらなかったと聞くから、押しつけられた独立のようなものだった。独立ってどういうことなんだ。多くの人が状況を測りかねていたという。しかしそのうちに、ルーブルで貯めていた口座が凍結され、やがて消えた。あなたたちはゼロからスタートしなさいといわれたようなもので、独立してもいいことはなにもなかったのである。それから19年である。カザフスタンはロシアに擦り寄り、タジキスタンやキルギスの人々はロシアへの出稼ぎでしのいでいた。そんな中でなんとなく国らしくなってきたのが、このウズベキスタンだろうか。キリル文字に頼る中央アジア諸国の中で、ローマ字表記つまりラテン文字への切り替えを目指している。」

他にも、チェックした個所はたくさんあるが、この辺でおいておこうかと思う。
サハリンの最東端駅からウラジオストク、ハルピンから北京、ウルムチからアルトマイ、タシケント、アストラハン。ここで鉄道は少し途切れて、バクーからトビリシ、アルメニア国境までいって、またまた途切れてトルコ入国。イスタンブールへ。ソフィア、ベオグラード、ベネチア、ミラノ、マルセイユ、ボルドー、リスボン、最西端の地下鉄駅カスカイスまで。20962km。ホントお疲れ様である。さらなる酔狂な次回作に期待を表明しておきたい。

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