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日本でも爆発的ではないが、様々な地域でポツポツと発症が続いている。日本はわざと発症数を抑えているのではないか?なぜ都市の閉鎖をしないのか?という批判とも疑念とも採れる反応があるようだが、私は、日本の(花粉症やインフルエンザ予防のための)マスク常用の週間と、衛生観念(手洗いやうがいなどの習慣)が大きいと思う。国民性の問題だ。しかも欧米的なキスしたりハグしたりという挨拶習慣がない。周囲の空気に合わせるのが日本の文化である。したがって国家権力の強制力で、外出禁止などを強制する必要性があまりないわけだ。埼玉でのK1の開催は、そういう文化を振り切ったかなり非日本的な話で、パッシングは当然だと思う。
アメリカ社会については、一時かなり勉強したが、意外だったのがオバマケア時代は例外として、国民健康保険制度がないことである。アメリカの格差社会は強烈で、レンタカーでアメリカを運転している時も、保険に入っていないようなボロ車がたくさん走っていた。そんな車にぶつけられたらどうしようもない。医療も同様で、金持ちは医者にかかるが、貧乏人はドラッグストアでせいぜい薬を買うくらい。マスク姿もほとんど見ない。そもそも傘をさしたりもしない。なにより自由を制限されるのが嫌いなのがアメリカ人なのだ。これを抑えるのは、警察や軍による強制力しかない。
中国の状況は、全く信用できないと私も思う。最近はアメリカのせいだとプロパガンダしているようで、まるで隣国の様だ。これもスターリンの亡霊かと思う。他者のせいにすることは不徳だと考える日本人的美学から見れば、不信感しか生まれない。
この時点で、私が興味深いのは、このパンデミック騒動の元であるウィルスの呼称だ。最初は「新型肺炎」というのが一般的だったが、「コロナウィルス」になり、WHOなどは「COVID-19」、アメリカでは、前述のアメリカが元凶だというプロパガンダに対して、反中国的な政治的立場を明確にしていて「武漢肺炎」「中国共産党肺炎」なども呼ばれている。このどれを使うかということも発信者のスタンスを示している。まだ京都に来れないPBT・F40の教え子・L君と社会学的に今回のパンデミクスを見ていこうとメールで約束しているのだが、呼称は一つの社会学的な視点になるかなと思う。
本日、首相が様々な対策を発表した。危機感を持続し、経済的な対策をうち、学校関係にも地域的には休校延期があるかもしれないとのこと。だが、愛媛は比較的感染者は少ないので大丈夫だと思う。だが、いつ何時、この状況が変化するかわからない。
…佐田岬半島は、山桜がポツポツと見えて美しい。三崎高校の前の桜もだんだんピンクになってきた。世間のパンデミック騒動とは別世界のようである。でも歩いている人は、ほぼマスク姿である。
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