さて、日露戦争である。昔々、大阪市立の高校の社会科研究会が某高校で行われた。あいさつに立った校長が、日露戦争の事を突然熱く語りだした。日本の偉大さを強く主張し、ものすごくシラーッとした雰囲気になったことを思い出す。(社会科教師はどちらかというとリベラル派が多い。)この校長は、おそらく司馬遼のファンだと思う。
司馬史観では、日露戦争は、小さな国であった日本が近代国家として認められることになったと、大きな意義を認めている。「坂の上の雲」というタイトルも、そういった日露戦争でつかんだ小さな国の苦労を3人の主人公の人生を中心に描いている気がする。
この戦争は、かなり不利な戦いを強いられることを政府はわかっていた。反戦論もあったが、多くの国民はマスコミの扇動もあって主戦論だった。今のように情報がSNSで公開されている時代ではない。ただただ日清戦争に勝った勢いが充満していた。
対外的には、三国干渉以来結束していた露・仏・独に対し、英国が手を差し伸べてきた。この日英同盟も面白い。英国は日露が戦っても中立であり、もし三国と日本が戦争になった場合は英国が日本に助太刀するという内容だ。これは、第0次世界大戦と呼ばれる所以である。いろんな本を読むと、どうも独のヴィルヘルム2世(ビスマルクを失脚させた外交音痴だと私の評価は低い)が黄猿に負けるわけがないと、大津事件で対日感情が悪かったニコライ2世をたきつけたらしい。ヨーロッパの帝国主義は魑魅魍魎の世界だったといえる。日本は、この時点では(今もだと思うが)、到底ヨーロッパ諸国の弱肉強食的な利に生きるDNAを持ち合わせていない。日本語と他言語の動詞の位置が違うように、強烈な自我がないともいえる。日露戦争は、このような魑魅魍魎の世界に日本が本格的に足を踏み入れた機会ともいえる。幸運がいくつも重なって、判定で勝利を得たが、ロシア国内の第一次ロシア革命が起こらず、長期戦になっていたら敗北していたと思う。これは、司馬遼も指摘しているところだ。
日露戦争の評価は難しい。これに勝利したことで日本は魑魅魍魎の一部分になったわけだ。それもアジアで唯一である。以後、ひたすら増長していき、悪くなったのだと司馬遼は主張する。たしかに、そういう視点には納得できる。
…今回の新型肺炎によるパンデミクスで、先日ついに日本政府は、中国からの渡航をやっと制限した。これは、習近平を国賓として日本から招待したという経過があって、その習近平からついに延期要請が来た、中国の面子を立てれた時点で渡航制限したわけだ。合理的に考えれば十分に遅いが、義を重んじたわけだ。こういう国のカタチこそ日本的だと私は思っている。司馬遼は今は鬼籍に入っている。昭和(戦前)を悪と規定したが、平成、そして令和となった今をどう評価するのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿