2017年5月12日金曜日

シーク教研究6

http://www.theworldofgurunanak.com/the-khalsa.html
書評「シク教」第6回目のエントリーは、グルの話を続けたい。シーク教のグルは10代まで続いている。初代グルのナーナク以後、聖典「グルグランド」に自分の聖なる言葉・詩編を加えていく。そのサインは全てナーナクと書かれている。グル1人ひとりナーナクと一体であることを証明するためである。

ところで、17世紀になるとインドのイスラム教徒の統治者たちは彼らを潜在的驚異であると考えるようになる。第5代のグル=アルジャンは拷問死を遂げる。その息子で第6代のグル=ハルゴービンドは就任式に戦士の装いで式典に現れたという。以後、大人しく優しいシーク教徒は武力による抵抗の新しい時代を迎える。第9代のグル=テーグ・バハードゥルもヒンドゥー教徒を助け、信教の自由を主張したため斬首の刑に処せられた。彼の息子、第10代グル=ゴービンド・シングはその時たった9歳だったがグルを継承する。その四半世紀後、1699年4月13日、インド歴の元旦であるバイサーキーの日に、グル=ゴービンド・シングはシーク教徒に芝陸高原にある町アナンドブルに結集することを呼びかけた。数多くのシーク教徒が祭りに参加し、群衆の中に一種の期待感が駆け巡ったという。戦闘服姿に身を固めきらめく刀を手に持ったシングが登場した。彼は、人々に弾圧に対して一致団結し勇気を持って立ち向かう必要があると戒めた。そして、彼は刀を振りかざし「今日、私の刀は人の首を欲しがっている。我がシーク教徒の中で真のシーク教徒は前に出よ。」と叫んだ。

この命令に会衆は沈黙した。長い間誰も動く者はなく、一言もしゃべる者もなかった。シングは再度命令を告げた。彼らは自分の耳を信じられなかった。グルは彼らのうちの1人に自ら死ぬことを要求している。混乱は恐怖に変わり困惑の呟きが広がる。グルはまた再びその命令を告げた。今度は1人の男が立ち上がった。彼の名はダヤ・ラーム。ヒンドゥー教徒であった。彼は前に進み、シングに付き添い側らのテントに消えた。群衆は固唾をのんで待っていた。まもなく、グルは血の滴り落ちる刀を持ってテントから出てきた。群衆の恐怖にもかかわらず、彼はもうひとつの首を要求した。多くの人がその場を立ち去りだした。数人がグルの母親に彼を止めるよう懇願した。しかし、もう一人の男、ダラム・ダースがグルの刀に自分自身を捧げると立ち上がったのである。彼もまたテントに入り、そして再びグルは血の滴る刀を持って現れ第三の首を要求した。このように全部で5回続いたわけだ。「こんなことはいつ終わるのだろう。」と誰しもが思っっていると、グルと同じような戦闘服に身を固め、それぞれが刀を帯びた先の5人を伴ってテントから現れた。グルは、死をかけてまで自分に従うことを明らかにした勇気あるバンジ・ピヤレー(5人の寵児)を紹介した。この5人がカールサー(直訳:純粋なる者)の最初の構成員である。この5人は信仰のためには死をも辞さないという決意によって、新たな社会にグルの兄弟として再生したのであった。それまでの縁を絶ちきり、構成員すべてが「獅子」を意味するシングという新たな名字を受けた。カールサーの構成員は、カーストや世襲の職業、それまでの宗教儀礼などに縛られることはない。勇敢に戦うこと、信仰のために自らの死をも捧げること、唯一の絶対真理を信じること、全ての人間は平等であることを誓った。このカールサーという語は、現在シーク教の軍隊を意味する。

…この本の中で最も印象に残らざるを得ない話であった。うーん、凄いな。私がケニア・ナイロビで会ったシークの人々は一様に厳しい表情をしていた。そのリーダーたる老師は穏やかそうだったけれど、周囲の屈強な青年たちはまさに戦士のようだったことを思い出す。

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