2017年5月6日土曜日

書評「世紀の空売り」その2

http://theconversation.com/what-will-the-next-financial-crisis-look-like-and-are-we-ready-34637
「世紀の空売り」の結論部分を、今日はエントリーしようと思う。

『ありきたりの金融恐慌と、2008年にウォール街で起こったことのあいだには違いがあった。ありきたりの金融恐慌においては、知覚が独自の現実性を創り出す。満員の映画館の中で、誰かが「火事だ!」と叫べば、観客はわれ先に非常口へ突進する。2008年のウォール街においては、最初に、現実のほうが知覚をねじ伏せた。満員の映画館が、館内に大勢の観客を残したまま焼け落ちたのだ。』(P445)

…リーマンショック(2008年の金融危機)は、それまでの金融恐慌とは明らかに異なる。これを上記のような比喩で書かれている。なるほど、としか言いようがない。なぜ、そのようになったのか?単にモーゲージ債という金融商品、その投資銀行の指示による格付けだけが問題なのではない、と著者は考えている。著者の元上司である投資銀行ソロモン・ブラザーズの元CEOとこの危機の後、昼食をとるシーンが描かれている。この金融危機の源をたどってみたら、かつてこのCEOが下した決断に行き着いたからである。

『(この元CEOが)合資会社だったソロモン(ブラザーズ)を株式会社にして、財務リスクを自分たちから株主へと移行した。それは結局、株主たちにはたいした意味を持たなかった。しかし、債券トレーダーたちにとっては、とてつもなく大きな意味があった。けれどその瞬間から、ソロモンブラザーズはブラックボックスになった。リスク引受人である株主たちは、トレーダーからどういうトレードをしてどれだけのリスクを冒しているのか、よく理解していなかったし、リスクの内情が今まで以上に複雑になるにつれて、その理解度はさらに低くなった。はっきりしているのは、頭脳的なトレーダーが複雑な賭けをして得る利益が、顧客にサービスを提供したり、生産性の高い事業に資本を配分したりする業務から得られる利益をはるかに上回るということだけだった。』(P439)

『ソロモン・ブラザースが他の投資銀行に先駆けて、上場企業となり、また新種のリスクによって負債比率を高め、そこから得られる潜在利益を見せつけた瞬間、ウォール街の心理基盤は、信頼から盲信へと移行した。行員の持つ持ち株で成り立つ投資銀行のままなら。35対1のレバレッジで賭をしたり、中二階のCDOを500億ドルぶん買ったり保有することもなかっただろう。合資会社であれば、格付け会社をだましたり、高利貸しとつるんだりしないだろうし、中二階CDOを客に売りつける行為を行員に許すこともないのではないだろうか。短期の見込み利益が長期の見込み損失を正当化することもなかったはずだ。』(P440)

…要するに無限責任を有する社員と有限責任の社員で構成される合資会社だった投資銀行が、単に有限責任のみの株主が出資者である株式会社化したことで、無責任な経営体質に陥ったという指摘である。これは、私にとって意外な結論だった。「無限責任を負う」ということの意味を深く考えさせるものだったのだ。このリーマンショック、とにかくカネが増えればいいという、無責任かつ無定見なトレーダーと投資家が招いた悲劇だと言える。その後。結局アメリカ国民の税金が政府から投入され、彼らは現在も生き延びている。これも、悲劇と呼ぶべきか、喜劇と呼ぶべきか、迷うところである。

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