![]() |
http://www.hotstar.com/tv/sherepunjab-maharaja-ranjit-singh/13447 |
1801年に「パンジャーブの獅子」ランジート・シングが、12に分かれていたシーク教徒の戦闘集団を統合し、シーク教徒は彼をマハラジャに据えた。彼は新しい意見に偏見なく耳を傾け、ヨーロッパやアメリカから宮廷にやってきた人々を歓迎し、パンジャーブの環境に適応できそうな人々を雇い、彼のカールサーは、世界でも有数の戦闘集団となる。軍医総監はフランス人、技官はスペイン人、砲術教官はアメリカ人だったという。多くの西洋人の訪問者が「他のインドのどの地方より安全。」「首都のアムリサトルは、シーク教徒のアテネでありエルサレムである。」などと述べている。彼が王位につく時(つまりシーク教王国が成立した時)ヒンドゥー教徒は自分たちの寺院で、イスラム教徒はモスクで、その長寿を祈ったという。まさしく、グル・ナーナクの創唱したシーク教らしい姿なのである。しかし、彼の死後は、詳細は省くが、戦乱の中にうずもれていく。今も、パンジャーブ地方では比較的多いとはいえ、インドでは人口の2%ほどの少数派でしかない。
…仏教では、正法・像法・末法という弁証法と全く反対の歴史観があるが、まさにそのようにシークの理想が衰退していくかの如くのである。しかし、世界的に近代国家化し、国家領域が定まり、安定化する中で、シーク教は多くのイギリス連邦の各国へ移民しつつ、自らの共同体を平和裏に築いているようだ。マレーシアのシーク共同体も同様であろうと思う。
…すでにシークのカールサーは、一部の過激派を除いて「伝統」や「歴史」になっているようだ。本来のシーク教の示す思想は、現代になっても色あせることはない。これからも機会があるたびに、学んでいこうかと思っている。これもマレーシアに来たが故のことである。
0 件のコメント:
コメントを投稿