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だが、日本も高度経済成長以来大きく変化する。この頃、ラザク先生は産業技術者の渡日前の研修を担当しており、若い日本語教師に「日本人は努力することを惜しまない。」「資源のない日本が戦後ここまで成長を続けてきた。」ことを繰り返し指導していたという。もちろん、ラザク先生の人柄にひかれていたが、一昔前の日本人の姿を伝える祖父の世代を感じた日本人教師もいたようだ。「日本人はもうそんなに猛烈ではないですよ。」とやんわり注進しても、「日本人は変わりません。」とゆらぐことはなかったという。
このラザク先生の日本へのスタンスを著者はこう分析している。
『戦後の焼け野原から始まった日本の復興と、植民地支配から立ち上がったマレーシアの独立以降の国づくり、いずれも国民の厳しい貧しさと混乱から始まっている。それをくぐりぬけた二つの国民には共感しあう何かがあったのではないか。もしかすると、それは輝ける未来を追い求めるだけでなく、痛みをともなう過去の記憶や癒す過程だったのかもしれない。クアラルンプール日本人墓地に眠る日本人の貧しさと孤独。アメリカによる原爆投下で焼き尽くされた広島。西欧諸国による長年の植民地支配を経験したマラヤ。勝ち取った「メルデカ(独立)」。そして民族が対立した5月13日事件…。痛みからの恢復と自立が二つの国の人々にとって共通した経験だったのではなかったか。』
…なるほどと思う。ラザク先生の日本を愛する気持ちは、純粋であるとともに、深層的には自国への思いと表裏一体のものであるというわけだ。わかる気がする。だからといって、ラザク先生に対する評価が変化するようなことでは決してないことは確かだ。
ラザク先生はこうおっしゃっている。「私はねえ、ルック・イーストプログラムが好きでしたよ。みんなでがんばって日本語を勉強して、日本の良いところを学んだ。日本語は美しいですからね。」「私はね、日本が好きですよ。日本人が好きですよ。日本人とマレーシア人は似ていると思った。イスラームでいう、時間を守るということ、約束を守るということなどは、当時の日本人はみな大切にしていたからね。」
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