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広島市長の言われていた「実相」という日本語はかなり難解なものだ。これを詳しく説明したあとで、核についての基礎的な話、ちょっと理系になるけれど、ウラン濃縮とか重水素とかも説明した。マンハッタン計画の話や、ラッセル・アインシュタイン宣言の話、さらに様々な核軍縮条約の話などもするのだが、最終的には、どうしても社会科学を超える話になる。
なぜ核軍縮が実現し得ないのか?この疑問をぶつけてみた。これは、最終的にはそれぞれの不信感にたどりつくからだ。人間とは善なる存在なのか、悪なる存在なのか?そんな話になる。
イスラムではどう説いているか、聞いてみた。「うーん。悪ではありません。」私の理解では、たしかにキリスト教のような原罪は解かれていないので性悪説ではない。しかも戒律をやぶることもある、という前提で人間を見ているところがある。戦争については、否定的だがやむを得ない時もあるといったかなり現実主義的人間観でもある。これにはほぼ全員納得してくれた。ならば、世界中がイスラムになったら、平和になる?「うーん。」おそらく、そういう思索は未経験なのかもしれない。でも、広島市長がいわれるように、自分で実相を知り、そして考えて欲しいと思うのだ。そういう学習もまた日本留学のためには必要だと私は思う。
せっかくなので、華人の私費生の多いAクラスも含めて両クラスとも、中国思想、就中儒教から見た人間観も教えておいた。先日の弁論大会で、ちょうど家族愛についてAクラスの生徒が発表した。家族愛、そういう惻隠の情が儒教の根本的なベースになっている。意外に、華人の生徒はそういうことを知らなかった。へー。意外である。せっかくなので、大乗仏教からも説いてみた。修羅、そして菩薩、さらに人間に内在する仏…。
こういう日本で学ぶ「倫理」のようなカリキュラムは、マレーシアの中等・高等教育ではないようだ。あまりEJUには関係ないけれど、軍縮や平和について考えていくと、人間とはなにかという哲学の世界に突入してしまう、ということを教えたわけだ。みんななかなか興味津々で聞いてくれたのだった。
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