2026年6月24日水曜日

地図で読むアメリカ2

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先日購入した「地図で読むアメリカ」(J・M・Vardaman著/森本豊富訳/朝日新書)を通勤時に読み出した。なかなか深い内容で面白い。今回は、序章の興味深い内容についてエントリー。

まずは、移民の時代区分についての新しい知識。1790年以前、デラウェアにスウェーデン人が植民地を建設していたとのこと。(画像参照)1790年に米国最初の国勢調査が実施された。390万人中、自由な白人が320万人で、奴隷が2割近く。ネイティブ・アメリカンについては対象外。自由な白人の外国人はアメリカ市民になれるという帰化法が議会で可決。1808年には奴隷貿易は原則禁止された。1820年までの移民数は年間6000人ほど。1880年までにイギリス、アイルランド、ドイツ、フランス、スウェーデンなどから移民が急増。1833年のイギリスの奴隷制度廃止法による労働力不足がブル要因となった。また1845年のアイルランドのジャガイモ飢饉、1848年のカリフォルニアのゴールドラッシュも大きい。南北戦争(1861~5年)終結後の北部の産業発展に際してはイタリアやハンガリー、ポーランドなどの移民が補い、大陸横断鉄道の労働力として中国から苦力が多数流入する。

1880年代に移民船が帆船から蒸気船になると移民が増加する。しかし1882年の中国人排斥移民法、それに代わった日本人も制限がかけられた。この時代に、カトリック教徒とユダヤ教徒が急増する。1924年に移民法の改正でアジア系は渡航禁止になる。世界大恐慌やWWⅡで移民は大量流入せず、1952年のマッカラン・ウォルター法案で移民は再開する。メキシコ、キューバ、フィリピンからの移民が増加、またハンガリー動乱での38000人の難民を受け入れる。その後、ハート・セラー法案で国別制限が取り払われ、移民は多様化した。

ところで入国を許された人々は、NY、フィラデルフィア、ボストン、シカゴ、サンフランシスコ、シアトルなどのゲートウェイ都市を経て、東海岸や西海岸の北部地域の都市圏に移り住んだ。これは、雇用機会が大きく関係している。

…たしかに、ミルウォーキーでの学校視察時にラオス出身の女子高生に会ったことがあるものの、上記の都市圏に移民が多いのは事実だと思う。

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