西田敏行演ずる会津藩家老・西郷頼母 |
面白いと思ったのは、西郷頼母の養子(甥にあたる)は、四郎といい、後に講道館の嘉納治五郎の弟子となり、四天王と言われた人物だということだ。姿三四郎のモデルである。
そもそも頼母自体、かなり強かったらしい。頼母に武術を伝授された人物に武田惣角がいる。この人に師事したのが、植芝盛平である。有名な合気道の創始者である。
私は合気道を少しだけやった経験がある。もう15年以上前の話になる。合気道の達人である私立高校の教諭の友人に近隣の道場を紹介してもらったのだ。まだ糖尿病になるかならないかの頃である。合気道は、試合で勝負するというような格闘技ではない。相手の力を利用してタイミング良く技をかける。護身術としても有効なので、パワーのない女性にも人気がある。週に一度なかなか楽しく汗をかいていた。ところが、ちょうどアメリカに行くことになり、2週間ほど休んだおかげで、なんとなく足が遠のいてしまい、そのまま行かなくなってしまった。今さらながら、ちょっと後悔している。
会津の家老と合気道、そして姿三四郎のつながり。NHKで言えば、「武」の歴史秘話というところか。日経の「春秋」は、西郷頼母から続く「武」の流れの存在に、こう結んでいた。『力ではなく、技と心を磨いて強くなる、そんな生きざまが光る。』
追記(2月21日)「合気道の創始者武田惣角」の著者・池月映氏より、このエントリーについて詳細なコメントをいただいています。
「合気道の達人!って先生のことじゃないの?」と、今日職場の同僚に話しかけられました。何のことやら訳がわからず、「?」という顔をする私に、「留魂録」に出てたよと。
返信削除で、大急ぎで確認した次第です。
「留魂録」は私の職場でも、その読者層を確実に広げているようです。
最近の研究や有名作家の作品では、西郷頼母は140センチの子供の身長で武術の達人ではないという見方が定着しています。
返信削除西郷四郎の柔道は西郷頼母とは無関係である。
殿中護身術の合気柔術にしても、藩主護衛役の御供番(60名いた)が500石以上の藩士に教えたもので、武田惣角は隣に越してきた妻の祖父佐藤金右衛門から学びました。
御供番は武芸に優れた者が選ばれ、武芸十八般の達人です。
合気は従来の武術に「気」を導入したもので、惣角は真言密教・修験道・易学・東洋医学を学んだことが遺稿集で明らかになり、隣村の天才易師万之丞が教えました。
官尊民卑の時代、農民の惣角は武術の格式を高めるため、西郷頼母に大東流の名をつけてもらったことは真実です。
子孫の代で誇大宣伝した史実は故郷で評価されず、奇人変人のままになっておりましたが、地元の協力を得て真実が解明されました。日本歴史人物事典にも訂正依頼をしましたが、訂正はされておりません。
武田家の先祖武田国継は、国会図書館で照査した結果、該当者は見当たらないとネットに発表されております。
「合気の創始者武田惣角」著者池月映より。
匿名の合気道達人のT先生。コメントありがとうございます。発見いただいた先生にもお礼を申し上げたいと思います。
返信削除池月映先生。詳細なコメントありがとうございます。日経の記事を紹介した稚拙なエントリーに、研究者の立場からきちっとコメントしていただき、ありがたく思います。一般の報道・情報等では正しいとされていることも実際は大きな違いがあることは、ままあると私も認識しております。また機会がありましたら、ご指導よろしくお願いいたします。
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