2013年2月13日水曜日

立花隆「天皇と東大」を読む Ⅲ

http://www.ne.jp/asahi/frog/hh/taish33.html
昨日の朝、爆睡していて乗り越し、京橋までいってしまった。こんな調子ではなかなか読書も進まない。(笑)とはいえ、立花隆の「天皇と東大」なかなか面白い。少しずつ読んでは意外な事実に驚くことが多い。

前回書いた『森戸事件』(クロポトキンの思想を紹介した教授の処分)以来、東大では右翼と左翼のせめぎ合いが起こってくる。右翼の方は、山縣有朋に繋がる上杉教授が、右翼学生を集めていく。一方、左翼の方も「新人会」と呼ばれる集団を形成していく。この右翼も左翼も、さすが東大。なかなかのビッグネームが登場する。

右翼の方は、まずは平沼騏一郎を中心とした「国本社」である。山川東大総長もその一員の最大の国家主義団体である。さらに「血盟団」の流れで、上杉教授の元に集結していた「七生社」(七生報国から名前を取っている)。ここには、牧野伸顕を暗殺しようとして逮捕された四元義隆(法学部学生。後、陽明学を講し中曽根元首相の政治的師となる。)また北一輝、大川周明の「猶存社」に流れた学生もいた。上杉教授から大いに期待された大秀才でありながら、北一輝に魅かれたのが岸信介(戦中の革新官僚、公職追放後首相)である。なかなか凄い時代であったわけだ。

ところで、私が最も面白いと思ったのが、大正七年に「老壮会」という極右・極左の合同勉強会があったという事実である。国家改造をめざす人々には共通点も多かったようで、神楽坂の演芸場あとで、二週間に1度ほど任意で集まり、会員がかわりばんこに講演したらしい。極右からは、大川周明、中野正剛、北一輝など。左翼からは大杉栄、堺利彦など。なかなかのビッグネームである。4,50人が集まり、講演の後質問会をしていたようだ。私心がないからか、呉越同舟ながらうまくいったらしい。方法論では激論がかわされたらいいが、その中から何かを生み出そうという気分が強かったらしい。結局、「老壮会は、真田幸村のいない大阪城だ。おもしろいけれど実戦には使えない。」と北一輝が飛び出していくのである。左右両派は、それぞれ反発しあいながらも、その源流に置いては、認め合っているところがあったらしい。

しかし、東大では、その後左翼の「新人会」と右翼学生が血で血を洗う内ゲバに突入していく。激突の場面に赤尾敏の名前が出てきたりして、おおっと言う感じ。

私はこういう社会思想史が嫌いではないし、そこそこ知っている人名が登場するのが面白い。しかしその歴史をひも解くとかなり複雑である。立花隆の調査と筆力には全く頭が下がるのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿