ダン・ブラウンの「インフェルノ」を読み終えた。その内容を明かすことは悪趣味だと思うので書かないが、期待通りの面白さだった。ダン・ブラウンのラングドン教授シリーズは、なんと言ってもその薀蓄がすばらしい。新たな発見が知的好奇心を大きく刺激する。今回は、ダンテの「神曲」を中心に、フィレンツェから話が始まるのだが、ホント興味深かった。欧米文化の根底に流れる本流を旅した感じだ。ダンテの言葉や美術や建築に関してのことは内容に関わると思うので、書かないが、ひとつ大きな発見があった。備忘録的に期しておきたい。(下巻P223)
キリスト教もイスラム教も言語中心主義だ。つまりコトバをよりどころにしている。キリスト教の伝統では、ヨハネによる福音書において、コトバは肉体になった。1章14節に「コトバは肉体となりてわれらのうちに宿りたまえり。」とある。だから、コトバを人間の姿で描くことが許された。ところがイスラム教では、コトバは肉体とはならなかったから、コトバのままでいるしかない…だから、たいていの場合、イスラム教の聖なるものは名前だけが飾り文字で書き記されているというわけだ。
…なるほど。「はじめにコトバありき。」このコトバはロゴスなのだが、キリスト教ではそれが、肉体化しているというわけだ。その拠所がヨハネ福音書だということになる。
ところで、昨晩はエントリーできなかった。しなかったのではなく、できなかったのである。昨日は月1回の糖尿病の診察の日で、枚方市駅近くの専門医院に妻と行ったのだが、病状は良くなっているとのこと。気を良くして帰路についたのだが、車中で突如として悪寒を感じた。ぶるぶると震えがとまらなくなったのだ。さきほど医院で血糖値を計ったら62の低血糖状態だった。昼食から時間がたっているからでさほど気にしていなかったのだが、(後から判明したのだが)低血糖による低体温状態になってしまったようだ。自宅で計った体温計は32℃を示していた。震えがますますひどくなる。以前手術を受けた時に低体温になった経験のある妻の機転で、足湯につかり少し持ち直した。さらに普段さけている糖分をどっと取ったが、結局吐いてしまい、まさに「インフェルノ」。あわや救急車という状態だったのだ。結局、妻の用意した電気毛布と、湯たんぽ2個を抱いて安静にしていた。気がつくと朝で、なんとか回復したのだった。妻のパートナーシップに感謝。恐るべし。低血糖と低体温。あやうく「インフェルノ:地獄編」に陥るところだったのだ。
2014年1月11日土曜日
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