Fetha Negast |
さて、ゲブレ先生の講演は、太田先生の掲げる『アフリカの潜在力』に繋がるものを私に強く期待させるものだった。エチオピアには、欧米の概念を基盤にした近代法(成文法:エチオピア起源ではなく民衆にとって正統性をもたない。)があるが、同時に代替法(ADR)や慣習法がある。これが、多元性である。「紛争解決のための潜在力」として期待されるのは、この中の「慣習法」であるわけだ。
エチオピアの法の歴史は古い。1240年頃、エジプトのコプト教徒によってアラビア語で編纂されたFethe Nagast(王の法律)は、北部高地のエチオピア正教徒社会で有効だったし、1320年に書かれ、エチオピア皇帝はソロモン王の関連があること、王位の継承などを記した Kebre Negast(王の賛美)などがある。慣習法も当然、その延長線上にある。
私が感じた慣習法の特徴を挙げたい。なによりWin-Winであることだ。共同体の平穏を重視し、紛争は社会的な混乱と見なすのである。これは凄いことだと私は思うのだ。次に、儀礼(パフォーマンス、動物の屠殺、共食、武器の破壊、呪詛、祝福)を伴う事。判断は、日常の行動原理に基づく信頼関係が基盤となるが、共同体の儀礼を経ることで正義性を高めるわけだ。
もちろん、この慣習法は、エスニックグループ内の共同体では有効であるが、他のグループとの紛争などには用いることはできない。とはいえ、地方を中心にエチオピアでは広く受け入れられている。もし、ムスリム同士の問題なら上記の代替法(ADR:これらは法として認可されている。)の1つイスラム法廷で解決すればよい(商業法廷・家庭法廷というADRもある。)のだが、やはり司法のシステムとしてはややこしい。いろいろな弊害があるそうだ。
慣習法は、伝統的な共同体の価値観に基づくので、特に、欧米的近代法の普遍的な法概念とぶつかることも多い。人権(身体の自由や財産権)や特に女性や若年層の権利(彼らは裁判に参加しない)が侵害されている事例も多い。和平実現のため結婚させられることもあるらしい。慣習法で死刑判決もでることもあるという。質問の時間、慣習法と近代法との関わりという論点で、女性割礼についてゲブレ先生はどうお考えか?という質問がでた。もちろん英語での質問。うむ。さすが京大。で、ゲブレ先生は、「女性割礼は健康に関係しているという教育が必要で、普遍性と慣習法の両者の矛盾を解決していかねばならない。」と述べられた。うーむ。痛いところだったのだろう。
ゲブレ先生は、慣習法をうまく使えないか政府に提言をされているという。私は、この慣習法、問題はあるようだが、少なくとも、その裁判の着地点が、Win-Winであることに大きな希望を見る。
このところ、一方的な攻撃、相手のプライドもズタズタにするような追いつめる姿勢、これまでの実績も全てマイナスに評価するといった、まるで共生を否定するような紛争の現場の近くに身を置いている。もちろん、Win-Winが絶対的正義ではないだろうが、その発想が導入される共同体であって欲しいと思うのだ。
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