金・土と、TVでアニメ映画を見た。ジプリ作品の「コクリコ坂から」と、ワンピースの「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」である。両方ともなかなか良かったのである。
特に、「コクリコ坂から」の「時代設定」に大きな共感を抱いたのだった。1964年の東京オリンピック前。私はちょうど小学校入学前である。(小学1年:東京オリンピック、中学1年:大阪万博で覚えやすい。)横浜の私立の伝統ある進学高校が舞台だった。この頃の高校生というのは、まだまだ旧制高校的な知的伝統や自治への想いを維持していたらしい。
映画では「カルチェ・ラタン」と呼ばれる文科系クラブの部室が集まった洋館が登場する。まず、カルチェ・ラタンという名前がいい。パリのソルボンヌ大学などが集まる学生街で、ラテン語(ラタン)を話す=教養がある=街という意味であるそうな。実際、映画でも、魅力にあふれた、歴史あるゴミだらけの洋館として描かれていた。私はこういう雰囲気は大好き。
学校側が、このカルチェ・ラタンを取り壊すことへの反対運動や生徒集会の様子も面白い。教養と品を感じる。結局主人公が掃除することを提案し、生徒の強硬策が功を奏し理事長の視察が行われる。私が一番感じ入ったのが、哲学同好会の生徒と理事長のやりとりである。
哲学同好会は狭く廊下に作られた小屋の如きものであった。理事長に「(部室として)狭くないか?」と尋ねられ、部長がこう答えるのだ。「(理事長)閣下は、ディオゲネスを御存じでしょうか。」そのコトバに、理事長は納得し、「素晴らしい生徒が集まっている。」と感銘するのだ。
映画では、全くその意味を解説していない。ここで哲学同好会の生徒や理事長に解説のセリフを入れていない。その「品位」に私は感銘した。常識として処理するところが、この映画の、この時代の、教養ある品位であり、魅力なのである。こういう映画が良い。
私のブログは、そういう映画のスキマを埋めてなんぼである。だから解説する。このディオゲネスは、ギリシア時代の哲学者で樽に住んでいた。何故かと聞かれると、私は世界市民だから、家などいらないのだとうそぶいたと言う。そういう変人だったが、彼がコスモポリタンというコトバを作ったのである。よって、映画では、「哲学をやるには(樽ほどの)狭い部屋で十分です。」と言ったことになる。理事長も当然その逸話を知っていて、感銘できたのだ。私たち高校の社会科教師の役割は、こういう教養を身につけさせる、あるいは身につける基礎的素養を身につけさせることにあると思っている。
前任校では、授業中に、よくこういう教養がないとわからないギャグを言っていた。ちょっと考えてから笑えるという時間差攻撃ギャグなのだ。「5秒ギャグ」と生徒には称されていた。(笑)
2013年1月13日日曜日
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