2013年1月20日日曜日

今年のセンター試験「倫理」

ウィトゲンシュタイン
この土日はセンター試験であった。現任校はあまり国公立大学を受験しないので、センター試験対応をすることはないのだが、やはり自分のカタナを錆びつかせたくはない。と、いうわけで今年も問題を見てみた。昨年は奇抜なイスラムの十戒?といった問題が出て、息子が「そんなもん、あるか。」と専門家として批判したりして我がブログから、ボヤを出したのだった。(笑)

さて、倫理というセンター試験科目、私はかなり受験生には有利だと思っている。なによりも日本史Bや世界史Bに比べて、絶対的な学習量(記憶すべき量と言ったほうがいいか。)が少ないのである。社会を「倫理」のみで受験できる国公立大学は以前より少なくなったようだが、たしかに他に比べてアンバランスではある。

同等の学習量とされる政治経済は、時事問題などが常に加算されていくが、倫理に加算していくのはなかなか難しい。私の嫌いな分野である現代社会的な部分では新しい学習事項(カタカナの新語など)が少しあるが、一気に増えたりはしない。

センター試験をつくられる委員の先生方も大変困られているのあろう。時々ぽーんと、倫理の教師が教えないような哲学者が出題される。だいたい現代思想なので、私などは構造主義・ポスト構造主義の思想は、最低限教えるようにしていた。それでも全部教えることは難しいだろう。受験と言うのは、効率を考えることでもある。

今回は、第1問でアーレントという哲学者が出題された。予備校が学習していないだろう、難解であると指摘されたウィトゲンシュタインやハーバーマスは私は毎回教える哲学者だ。第三問では、西田幾多郎がぽーんと出た。ビッグネームだが、なかなか難解なので教えるのは難しい。私は毎回教えるので、もし教え子が受けていたらおそらく対応できたと思う。第4問では、ボードリヤールが出た。これも初めてでる哲学者。ホルクハイマーとウェーバーとの3人の思想を比較する問題だったのでなんとか類推可能。だから、もし教え子が受験していたら、アーレントが出て「誰?」と面食らうという感じかなあと思う。私は、そのうち、ポスト構造主義のデリダが出ると思っているのだが…。まあ、倫理の教師も毎年気が抜けない、ということである。(笑)

ところで、本日の画像に使ったウィトゲンシュタインといえば、有名なアフォリズムがある。『語り得ないことについては、人は沈黙せねばならない。』…語り得ないことは沈黙するしかないのだが、それを強制されるのは…。

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