2011年9月24日土曜日

放射能測定可能な携帯電話

特別活動で多忙な日々を送っていて朝7時登校などということもあったのだが、モーニングは欠かさず行ってから登校している。最近は日経を読むことが多い。21日付けの日経に、NTTドコモのスマートフォンに、専用のケースをつけて、これまた専用のアプリをいれると、放射能が測定可能になる商品が開発されたという記事が載っていた。うーん。なんか微妙な感じである。
http://www.nikkei.com/tech/news/article/g=96958A9C93819696E0E3E2999C8DE0E3E2EBE0E2E3E38698E3E2E2E2;da=96958A88889DE2E0E2E5EAE5E5E2E3E7E3E0E0E2E2EBE2E2E2E2E2E2

妻はこのところ”反原発”の立場らしい。「どう思う?」と聞くと「世も末じゃ。」と答えた。うーん。そういう反応もありえるよなと思う。私は、社会科教師なので、いろいろな視点で考えてしまう。
ドコモが、そういう商品を開発したということは、そういう需要が見込まれるということだ。東北地方に住んでいる方には、身の安全を守るために必要なアイテムかもしれない。東京あたりで、風評に敏感なPTAは、児童の給食の際にこれで検査してから食べるようにと言うかもしれない。流行に敏感で、面白グッズが大好きな目立ちたがり屋も購入して、どこかの大臣みたいに、「放射能がうつる」遊びをするかもしれない。…どちらにせよ、妻の「世も末じゃ。」であるかなあ。

一方で、放射能測定機自体の需要が大きいのに、高価格で、しかも性能が悪い外国製のものもあるというニュースを見たこともある。NTTドコモのものなら、信用できそうだ。行政サイドから見れば、非常に有用かもしれない。
また、こういう商品をビジネスとして販売することを批判す人々々も、少数派だと思うが、いるかもしれない。人の不幸を金儲けに利用するのか…と。
放射能という、これまでにない安全における価値基準が、日本社会に浸透したと見ることもできる。
大文字や花火や、食品や様々な場面で放射能への”すさまじい反応”が見られる。日本人の生真面目さと見るべきなのか、病的な自己中心主義と見るべきなのか、私には判断しがたい。

結局、妻の「世も末じゃ。」というコトバが全てを語っているのかなと思ったりする。大阪府の政治権力による教育の危機も、「世も末じゃ。」…か。

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