「龍馬伝」が終わって、「坂の上の雲」がNHKで再放送されている。まもなく第2部が始まる。私は司馬遼太郎の作品は大好きだ。ただ、司馬遼の筆力があまりに凄いので、全てが真実のように思えてしまう。特に、この「坂の上の雲」は、歴史小説でありながら歴史小説以上に迫ってくる。素朴に小説に書かれていることが事実だと信じてしまうことは、極めて危険であると思っている。フランクフルト学派のホルクハイマーやアドルノの言う「啓蒙の理性」的な危険を強く感じるのだ。
先日書いた徳川慶喜の捉え方など、司馬遼と山岡宗八とほぼ対蹠点にあったりする。特に「坂の上の雲」は、様々な左右の学者から批判を受けているのだが、なかなかこの歴史小説を超えられないように思う。第2部は、いよいよ日露戦争に突入である。NHKのHPによると、最終回が「広瀬、死す」となっているので、旅順艦隊を撃滅するあたりまでかと思われる。まだ、このあたりまではいいが、特に旅順攻略戦の乃木稀典の戦略云々や、日本海海戦の東郷平八郎や秋山真之の英雄譚あたりになると、様々な異論があるようだ。私は、何度も言うように、司馬史観は嫌いではない。だが、あえて批判本を読みたい。再放送が始まって、そう思っていた。そんな中で、先日、中公文庫の検証/日露戦争(読売新聞取材班)を見つけた。今年の9月15日発行である。「坂の上の雲」にとって、なかなか良い批判本である。
枕が長くなった。本題は、統帥権の話の第三弾である。前回のブログ(11月28日付)で、天皇は「玉」であり、専制的ではないことについて述べた。この「検証/日露戦争」に面白い記述がある。長いので趣意を書くと…。
日露戦争開戦の前年、国家戦略として日露開戦やむなしと御前会議で決定する。この時、桂太郎首相は戦争に賛成しながら辞意を表明。伊藤や山縣も火中のクリを拾わない。天皇は、伊藤をおだて、山縣の助言をあおぎ、桂を激励するなど並大抵でない心配りを見せ、桂を留任させるのである。また、旅順攻撃がうまくいかなかったのを見た天皇は、総司令部を現地から東京に移してはどうかと大胆な提案を行う。この提案は、結局桂や元老が、現地軍の士気が下がると反対したので天皇は自ら取り下げたという。この事実は、天皇が建前だけの『大元帥』ではなかったことと同時に柔軟で弾力性に富んだ姿勢をとっていたことをうかがわせる。(これは公式記録の明治天皇紀にあるらしい)様々な明治天皇の研究書でも、「独裁君主にはほど遠く、臣下に助言し、臣下の忠言を容れ、臣下と運命を共にする少数集団指導体制グループの長」という共通した見方があるそうだ。「君臨するだけの君主でも、独裁君主でも、あるいは平和主義者でもない明治天皇」というのが、どうやら真実らしい。統帥権を語る上で、重要な問題であると思われる。少なくとも、日露戦争時は、政府内では、統帥権が独り歩きはしていないことがわかるのである。
いろいろな立場から書かれた本を読み、自分で思索することは楽しい。
2010年12月3日金曜日
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