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B1-B 現在は展示されているらしい |
今日も授業は横道にそれっぱなしであった。来週期末考査が始まるが、初日・二日目に私の試験4教科が集まっている。まさに時間との戦いで、かなり疲れているからかもしれない。(まあ、絶好調でも良く横道にそれるけれど…。)日本史Bで、軍制の話をしていた。日清・日露戦争を語る為の前節だったのだが、どういうわけかアメリカ航空博物館の話になってしまった。私は、6回アメリカに行っているが、だいたい軍関係の展示をしている博物館に必ず行っていることになる。ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館は2回行った。NYCのイントレピッド航空宇宙博物館も行ったし、サウスダコタ州ラピッドシティ近郊の航空宇宙博物館も行った。それからサンディエゴの航空宇宙博物館にも行った。先日Uボートの画像を載せたシカゴの科学産業博物館も、それ系の展示が充実している。一気に語るにはもったいなので、今日は、サウスダコタの航空宇宙博物館について述べたいと思う。
この博物館を知ったのは、AAAのガイドブックである。(JAFで手に入れたものだ。もちろん全部英語であるが、そんなに難解な英語ではないので辞書なしでも、ほぼ読める。)ラピッドシティに着いて初めてアメリカでハンドルを握った私は、R90を東へ走った。この博物館は、実は戦略空軍基地に併設されており、なんと戦略空軍基地のツアーまであるのである。戦略空軍というのは、地域的な戦闘(戦術)ではなく、大陸間弾道弾も含めた大局に立った戦争を大きく左右するような任務を帯びた空軍とでも言えばいいのだろうか。要するに普通、公開するか?!というような基地なのである。
博物館の広大な駐車場にレンタカーを止めた私の耳に、凄い爆音が覆いかぶさってきた。基地所属のB-1Bが、超低空(50mくらいか)で頭上を飛び、凄い角度で旋回していく。アメリカ軍では、Bと最初につく軍用機は爆撃機である。(ちなみにAは攻撃機、Cは輸送機、Fは戦闘機である。)ステルス機能を身にまとった可変翼の爆撃機である。実物の迫力に、かなりビビッたのであった。さて、博物館の建物自体はそう大きくない。ほとんどが野外展示なのである。入場券を購入し、ツアーを申し込みにいくと、オバサンがいて、今日はツアーは中止だと言う。よくきくと、在タンザニア米大使館が爆破された影響だという。良く見ると星条旗が半旗になっていた。運が悪かったとしか言いようがない。オバサンもせっかく日本から来てくれたのにと同情顔である。(アメリカの田舎のオバサンは極めて親切でフレンドリーである。)
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B-29 |
とにかく、青空の元で、飛行機を見に行く。やはり目玉はB-52である。ベトナムで無茶苦茶爆弾を落したんだろうなあと思いながら、端から端まで見て歩く。さらにB-29もある。こいつは日本に爆弾の雨を降らせた奴だ。見学者で見るからに品のよさそうなおばあちゃんが、声をかけてきた。「どこから来られたの?」「日本の大阪です。」「それは遠いところから…」つい、口が滑ってしまった。「私の祖母(詳しく言うと父方の祖母)は、このB-29に殺されました。(神戸の空襲である)」「あら…。それは、申し訳ないことをしたわねぇ。」と頭を下げられた。あいやー、そういうつもりはなかったのだが…。今思えば、おそらく私の無意識層に、アメリカの航空宇宙博物館に必ずある『リメンバー・パールハーバー・コーナー』への憤りがあったのだと思う。おばあちゃんは、「彼が私のハズバンド。昔軍でパイロットをしていたの。」と、B-52をじっーと見つめているじいちゃんを指差した。なるほど。
「すみませんでした。余計なことをいいました。」と頭をさげると、「今は、日本はアメリカの友人ですよ。」と、おばあちゃんはまるで国務長官のような発言をしたのだった。
最近の戦争シリーズはかなり興味深いです。
返信削除特に11月27日の記事に書かれていたような戦争と貧困の関係は私が卒論で福祉政治を書くことになったきっかけの一つなので。
ちなみに今日は梅田で安藤忠雄に会えました。いや、会えましたというのは大袈裟で、実際には同じ料理屋で遭遇しました。父が建築屋なのでどうしてもサインが欲しかったのですが、色紙にはサインを書かれないそうで断念しました。次回の遭遇に備えて自伝を一冊購入しましたw
哲平さんへ。
返信削除開発経済学をやると、どうしても近代国家論と重なり、それは国民国家の意味を問うことになり、戦争というものの意味に考察のベクトルが向いてしまいます。案外高校生は、こういう事を今まで教えてもらっていないので、新鮮なようです。戦争=悲惨だけの、心象的な理解ではなく、様々な角度から考えさせたいと思っています。そのための準備は大変ですが、なかなか面白い平和学になると思っています。