2010年12月4日土曜日

天皇制が支えた「なあなあ」?

  2日(木)の毎日新聞夕刊に、アメリカの日本学者の主張が載っていた。タイトルがなかなか面白い。統帥権の話を書いているので、なにかの参考にと置いておいた。是非、拡大して読んでいただきたい。
私は、彼の言う「天皇制の下では、経済的な利害関係も、共同体のあり方の問題として扱う事が出来た」「天皇制がさまざまな矛盾を隠す役割を果してきた」という考え方は、面白い視点だと思ったが、若干異論がある。彼は、アメリカ人であり、当然欧米的な思想の枠組みの中で、日本を捉えていると思うのである。日本の思想の大きな部分を、極めて集団主義的な構造が占めていることは当然であるが、天皇制と完全にイコールで結び付けるのはどうかと思う。(デリダのいう差異の概念を使わせてもらいたい。)必ずしも、イコールではない。天皇制が完全に下火だった江戸幕府でも老中の『なあなあ』は存在したし、いくらDNA的な問題だといっても、今の若者たちに「天皇」という存在はあまりに遠い。(うちの生徒も、日本史で習う天皇の名前は知っていても、今の天皇の名前を知らない。)したがって、彼の善と悪二元論的な(これはたぶんにキリスト教的な)割り切りは、危険ではないか。労働運動の話も出てくるが、彼らは個人として自立して、また階級闘争と真に理解して経営者側と対峙したとは思えない。
ただ、日本文化の根底にそういう「日本という社会集団の象徴的リーダーとしての構造としての天皇の存在」を見ることは可能だと思うが、彼の言う単純な「ファシズム」的権力維持装置としての天皇というのは、戦後の数年を除いて今や現実的な捉え方であるとは思えない。そもそも、富裕層と中間層が結合したこと=ファシズムというのも、ナチズムの歴史から見れば言えないこともないが、あまりに誇張がすぎる。ならば、アメリカの戦後史は全てポピュリズムでありファシズムであると言うことになってしまう。視点は面白いが、この記事を読む限り、欧米的なスタンスから抜け出ていない日本論であると私は思ったのだが…。

なにか、小論文指導の為に、自分で課題を設定して、模範解答を書いたような気がする。(笑)

0 件のコメント:

コメントを投稿