2010年12月16日木曜日

統帥権の近現代史への影響Ⅳ

 ちくま文庫の『山縣有朋』(半藤一利著)は、統帥権を学ぶのに最高のテキストであると思う。読み終えてさらに読書ノートも作ったので、久しぶりに統帥権の近現代史への影響について書こうと思う。
 統帥権の生みの親ともいうべき山縣有朋の墓碑に記されている位階勲等は、「枢密院議長元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵」である。近代日本人で、これ以上の位人臣を極めた者は稀にしかいない。「陸軍の大御所」としての威勢をバックに、山縣は政治の世界に登場し、内務省に堅固な派閥を形成し、徹底的に自由民権運動を弾圧する。二度首相になり、自由民権運動の影響を受けない軍・官をつくるため、文官任用令の改正、治安維持法の制定など近代日本に大きな影響を残した。山縣の理想は、一切の権力を天皇に帰せしめ、天皇を神格化し、その親政を絶対的なものとする天皇主義国家であった。「軍人勅諭」「教育勅語」はその象徴である。以下、私の読書ノートから、この本の抜粋(趣旨)集である。

①西南戦争前夜、士族の反乱を抑え陸軍卿・参議となった山縣は、大久保の台湾出兵に猛抗議したが、全く無視された。大久保の『政略が主で、戦略は従者でしかない』という信念に敗北する。この時、山縣は政治優先の決定に対して憤慨、後日の統帥権独立への道をひらいた。

②西南戦争時、山縣の最大の功績は、兵力の不足で音をあげながら、ついに徴兵制を崩さず、政府部内の士族徴募に応じなかったことである。(地方の巡査には士族を採用し、結局投入したが…)軍政家としては優れていたが、戦術家としては机上の論の上に細かすぎて苦戦をしいられた。

③木戸と西郷の死後、山縣は長州を背負う気持ちが生まれ、西郷亡き後の陸軍を背負う気持ちが生まれた。一方で、木戸の『軍人が政治に参加すれば全体が武権の意志に引きずられる』という危機意識を気にしなくなる。同じ立場の大久保もその後すぐ暗殺されるからである。山縣は、天才達の陰に隠れた存在だった。「奇兵隊の狂介」は天才高杉晋作の陰にあり、「討幕の軍監、長州軍の山縣」も大村益次郎の陰にあった。それが、伊藤とともに日本政府を背負うことになったのである。

④明治12年、岩倉・三条の諮問に答えて、軍部(山縣)は、「天皇自ら大元帥の地位に立ちまい、兵馬の大権を親裁したもう」と答えた。統帥権の独立は、憲法制定以前から確立していたのであった。参謀本部が出来、天皇に直属した。伊藤-山縣の線で、兵政両件の統一的な運営はほぼ円滑に進んだが、やがて軍部をコントロールする政治力を欠如した政府が現出した時、国家が真っ二つに分裂される。統帥権の独立とは、国家内にもうひとつ国家ができる危険を内包したものである。しかも近代日本においては、憲法成立前にそれが完成していたのである。

⑤徴兵制によって兵になるものは、農民層である。彼らの背には出身の村の大きな期待がずっしりと乗っている。この兵士達の村への忠誠を国家的結合に結びつけるため、より高い次元で統合する「万世一系の天皇」を創出する。それが、「我が国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある」で始まる「軍人勅諭」である。

 まだ続くのだが、長いのでこの辺で小休止したい。いやあ、この本、無茶苦茶面白かった。というか、日本史のこの辺、私の勉強不足だったというか…。近日またこの続きを掲載したいと思う。

追記:コートジボアール情勢が緊迫しているらしい。荒熊さんのブログ(赤提灯~)では、隣国ブルキナではどこ吹く風だが、ラジオ等でかなり情報が入っている模様。岡村大使のブログにも注目!(急遽リンクに入れました。→コートジボワール日誌)

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