一神教の根本であるユダヤ教の律法には、利子を禁ずることになっている。これは、出エジプト記22章24節や申命記23章20節にある。ただし、この律法は同胞に対しての規定である。キリスト教世界でもまた、この利子について様々な検討がなされた。東ローマ帝国ではローマ法が、西ローマ領域内ではゲルマンの慣習法は利子を許していたが、様々な公会議や神学者によって利子は改めて恥ずべき行為として否定された。ユダヤ教徒は、キリスト教徒を同胞ではない異教徒と見なし、金融業において地位を確立していくのである。やがて、歴史的変化・資本主義経済の発達の中で、キリスト教徒も利子を得るようになっていった。
一方、イスラム教においては、現在も利子を取らない。ただし、違う方法で金融機関は利益を得る。イスラム金融のしくみは、例えば工業を立てる場合、銀行が建築資金を肩代わりし建設する。これを分割払いのカタチで企業に売り払う。銀行は、建築資金と売却代金の差額分が利益になる、いわばリース代やクレジットカードのようなしくみである。お金を貸すのではなく、モノの代金で肩代わりする方法である。これをムダーラバと言う。その他にも様々な金融の方法が実施されている。
いずれにせよ、現在の資本主義経済のもとで、利子を取るということは合理性がある。金融が成立しないと経済が進展しないためである。一神教の、神定法・利子の禁止規定は、結局のところ守られなかったと見るべきなのか、法の穴を探し当てたと見るべきなのか、難しいところである。
以上634字。最後の私感的な部分を削れば600字かなと思う。
参考文献:https://www.eco.nihon-u.ac.jp/about/magazine/shushi/pdf/88_01/88_01_07.pdf
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