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https://www.kaze-travel.co.jp/blog/naniwa20191221.html
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「世界まちかど地政学」書評の続きである。本日は残るアルメニアの話。アルメニアの建国は前2世紀。以降はジョージア同様、覇者の侵略を受け、再独立の繰り返しで存続してきた。世界でキリスト教を国教としたのは、このアルメニア正教。アルメニア語、アルメニア文字とともに民族のアイデンティティである。かのノアの箱船が着いたといわれるアララト山(画像参照)は現在はトルコ領だが元はアルメニア領。トルコとの軋轢はWWⅠの時トルコ領内のアルメニア人大虐殺(100万~150万人)に始まる。以来、トルコにいたアルメニア人が欧州やアメリカに拡散する。
…昔の経験だが、NYの移民博物館・エリス島で、アメリカと他国の国旗がクロスしたバッジを売っていた。この時、かなりの数が陳列されていたのがアルメニアで、これだけバッジの需要が見込まれるということは、かなりのアルメニア人がアメリカに移住していることがわかった。私は、この時に初めてアルメニアという国・民族を意識したのだった。(画像はこんな感じのバッジということで…。日の丸を星条旗に変えてイメージしてください。)
よって、アルメニアは、反トルコであるわけでソ連に編入されるが、コーカサス3国で唯一ロシアとは接していないが、ロシアの軍事基地を置いていて、トルコ系のアゼルバイジャンとは極めて険悪な関係にある。EU志向のジョージアや世俗化したイスラム国家アゼルバイジャンに比べ、旧ソ連的な空気が強く残っている。
著者は、こう記している。「ジョージアは国内に多数の分派を抱えるが、ロシア以外に外敵はいない。逆にアルメニアは、ナゴルノ・カラバフ紛争でアゼリー人(=アゼルバイジャン人)を追い出して以降、ほぼ純粋にアルメニア人の国なのだが、かつての侵略者であるロシアくらいしか仲間がいない。かつてトルコにやられて苦しんだ民族浄化を規模は小さいとはいえ自分もやってしまったわけだが、業の深いことだ。そして今は、本心からの仲間がいないまま、おそらくはアララト山なみの孤峰の気分で佇んでいる。」…なるほど、と思うのである。
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