そもそもここは、ドイツ騎士団が開拓し、プロイセン王国発祥の地であり、ケーニヒスベルグがあったところ。ケーニヒスベルグとくれば、かのカントが一生を過ごした所である。実際、カント島という名の中洲があるらしい。(オイラーの有名なケーニヒスベルグの7つ橋(位相幾何学の問題)は、このカント島らしい。)ここには、ドイツが寄付して再建されたケーニヒスベルグ大聖堂がある。宗派が気になったので調べてみると、そもそもはカトリック教会だったが、ルター派に。さらにロシア正教の2つの礼拝堂があるとのこと。やはり…である。ここにはカントの霊廟があり、1時間に四回、ベートーヴェンの運命の第5を4つの鐘が鳴らすらしい。おお、ドイツらしい、という話ではないか。
https://twitter.com/hidelcondorpasa/status/1232860493544509440 |
…WWⅡでは、民族浄化があたりまえのように行われていたわけだ。今は、バルト海のロシア海軍基地があるカリーニングラードの人口は、他の地から移住してきたロシア人が85%、これにウクライナ人・ベラルーシ人が住んでいるらしい。なにか、先日、ロシアに編入された東ウクライナを彷彿とさせる。
…地続きのヨーロッパのこういった移民や民族浄化というのは、島国日本ではなかなか実感しにくい。著者は北方領土を考える上で、カリーニングラードのことを知らずには語れないだろうと記している。同感である。
…大哲学者・カントの「恒久平和のために」が書かれた地は、多くの戦争犠牲者を出して、今こうなってしまっているわけだ。なんともやるせない話である。
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