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ジェンダーとは、性別による社会的規範とその差を意味する。一般的には女性に不利な状況を改善する方向を指すといえよう。
宗教は、このような女性が不利な状況を社会的規範としてきたと見られても仕方がないところがある。一神教(ここではユダヤ教・キリスト教のカトリックならびに正教・イスラム教)では、神の「産めよ増やせよ地に満ちよ」という言葉によって、ある意味、女性は子孫を増やすための存在とされてきた側面がある。ユダヤの超正統党派の女性やイスラム教では、服装規定もある。サウジアラビアでは最近女性の運転免許が許された。そういう意味では、ジェンダーという人権思想が生まれる前の社会規範として大きな壁になっていたといえるだろう。これらの一神教では、特に堕胎は認められないことが多いし、離婚についても大きな制約を持っている。人権思想としてのジェンダーは、プロテスタント系の欧米社会で生まれたがゆえに、同じ一神教でもプロテスタントはジェンダーには理解的である。
仏教においても、女性の成仏は法華経以前は認められていなかった。上座仏教では、女性はまず男性に生まれ変わる事が必要であった。ただ、大乗仏教では、平等大慧(すべての衆生に仏性が備わっていること)が説かれており、根本的な性差はないといえる。仏教で言う四衆は、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷となっている。男性が先になっているものの、女性の僧、在家をきちんと明記している。
以上600字ジャストである。イスラム教の女性へのスタンスは、男性が守るべきものであり、差別的だと誤解されている部分が多い。ただジェンダーという観点から見れば、生活様式での差(行動の自由度)は大きい。人権思想としてのジェンダーを強調する人々からは、そういう宗教的な側面を理解されにくいだろうと思う。
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