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この時、北京の駐在武官だったのが柴五郎である。他の列強11か国とともに北京籠城戦を戦うことになる。柴五郎は、中国通であるとともに、アメリカの米西戦争などの視察も経験した国際派で、英語もフランス語も堪能であった。籠城戦の総指揮をとったマクドナルド英公使から絶賛される働きを部下と共に行った。日本軍の勇敢な戦いと、他国が避けた最も厳しい王府を守り切ったことだけでなく、義和団から狙われていたクリスチャンの中国人を味方につけたこと、さらに事件後も日本の占領地では統率が乱れず、他国と比べ中国人から信頼を受けたことなどが挙げられる。
…彼の軍人としての部下、他国の公使や軍人、中国人からの人望の厚さは、語学力だけでなく、会津藩=逆賊と蔑まれた所から培った「ならぬことはならぬ」という武士道が基盤となっていた故だと思う。
この柴五郎の率いる日本軍将兵の強さと美しさに魅せられたマクドナルド英公使は、ソールズベリー首相にロシアの南下を防ぐために日本との同盟を説く。日英同盟である。柴は日英同盟締結のきっかけを作ったわけだ。詳しくは、以下のYouTube(前編・中編・後編)に詳しい。
https://www.youtube.com/watch?v=gnOMLo5AdMU
https://www.youtube.com/watch?v=vW8MQ_NAJ7U
https://www.youtube.com/watch?v=43f9mOZacmk
…柴五郎の祖母・母・兄嫁・姉妹は会津城籠城戦前に自刃している。幼かった五郎は親戚に預けられ斗南へ移住する。藩校・日新館で会津の什の掟を叩きこまれ、西郷・大久保の死後に陸軍幼年学校を志願、士官学校へと進んでいる。「坂の上の雲」の秋山好古とは同期である。昭和20年敗戦直後の9月に身辺整理を行い自刃するが、高齢(85歳)故に果たせず、その傷がもとで同年死去。この自刃は、元陸軍大将として敗戦の責任の一環を担うべきであるとの思いであり、元会津藩の武士道を貫く故の必然であったように私は思う。
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