2020年2月8日土曜日

ドイツ人捕虜と松江豊寿

もう一人の地味だけれど凄い会津藩出身の軍人は、松江豊寿である。第一次世界大戦で、青島を守備して敗れたドイツ人捕虜の徳島県坂東収容所の所長である。人道的な立場で捕虜に接し、可能な限り自由な環境を作り上げた。陸軍からは「会津は会津だな」と蔑まれたが、人道的な姿勢を崩さなかった人物である。こういうハーグ条約を守り抜いた軍人が大正期にはいたわけだ。
ベートーベンの第九交響曲(合唱つき)が初演されたのは、この収容所でのことである。知らなかったが、映画にもなっている。(今日の画像:バルトの楽園参照。)
松江豊寿については、以下のYouTubeに詳しい。
https://www.youtube.com/watch?v=5f2DbI4MQ-4
https://www.youtube.com/watch?v=Rg44MMQT3Sc

…ドイツ敗戦の報を聞いたドイツ人たちは茫然自失となり発行している捕虜たちの新聞もかけない状況であった。その時の松江の言。「諸君の気持ちは判るが、どんな苦しみの中でも、人は光を見つけ将来に向かう勇気を持つべきだ。諸君、新聞を出したまえ。そして、そのことを紙上で」呼びかけたまえ。これは私の命令だ。」「松江所長、判りました。命令を感謝します。」

…ドイツ敗戦時の松江のこの言葉は本当に感動的である。何と言われようと会津人でなければ言えないと思う。ベルサイユで講話が行われた後の講話も素晴らしい。こういう会津人ならではの想い、そして他者を敬う武士道がいい。ちなみに松江は少将に昇進した時点ですぐ予備役になっている。その後官選(選挙ではなく政府の意向で)若松市長(3年間)を務めている。軍人から政治家に転身したのか、させられたのかはわからない。

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