2012年9月15日土曜日

京大アフリカ研'12公開講座9月

むこうは晴れ、こっちは雨そんな天気でした
京大の公開講座は、今日が「シリーズ出会う」の最終回である。以前重田元センター長が言われていたように、トリはアフリカ牧畜民研究の大御所、太田至先生で、そのタイトルは『アフリカの紛争と共生の問題に出会う』。地域研究・文化人類学のテーマとしては、かなり異質である。まるで国際関係学のようだ。だからこそ、私は今日の講座を楽しみにしていたのである。

この謎は最初に解けた。京大アフリカセンターの教員全員と他のアフリカ研究者約20名が研究チームを組んで、科学研究補助金・基盤研究をされているのだ。太田先生はその中心者として『アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究』と長いタイトルの研究プロジェクトを組んでおられるらしい。期間は5年間。研究の要旨は、およそ以下のとおりである。

現代アフリカ社会には、様々な紛争や内戦が起こっている。そこでは、一般市民同士の激しい暴力行為が認められる。例えば、ルワンダの内戦や2007年のケニア大統領選によるキクユ人とルオ人の対立などに見られる、紛争直前までは隣人としてうまく付き合っていながら、紛争が起こるや刃物まで使う激しい暴力行為にまでエスカレートするケース。このような事態は、社会の解体と疲弊を呼び込む。こうした課題の解決を志向するアフリカ研究は社会的な要請であるといえる。もちろん、紛争解決のために国連やAUなどの軍事介入、先進国の経済制裁、停戦・平和協定支援、ICC(国際刑事裁判所:以前エントリーしたケニアのケニヤッタ副首相が訴追された。)などの「主流」と思われている紛争解決への取り組みは、これまでにもあった。しかし、いずれも、西欧出自の制度や規範・価値観(民主主義・人権など)に基づく、「外部」からの介入だといえる。欧米の普遍的な概念の押し付け故に、あまり効果があったとは言い難い。
そこで、研究プロジェクトでは、「アフリカ人の生活の現場から発想する」という指針転換の必要性を訴え、アフリカ人が紛争解決と共生のために創造し、運用してきた知識や仕組み(=潜在力)を再評価するとともに、外部社会との折衝の中で、その潜在力を変革してきた能力(=インターフェース機能)に着目し、その可能性を拡げるという目標を設定したという。

毎回行われる講座の後の質問会で、太田先生は言葉を選びながら答えておられたが、社会科学的な視点(開発経済学や国際関係学、平和学など)ではなく、現場を知る地域研究の立場から、アフリカの知やアフリカの生きる力を、紛争解決、市民同士の暴力の否定の方向に行かせないかという研究だと私は理解した。

太田先生の講義は、先生の研究フィールドであるケニア北西部のトゥアレグ人の地域に建設されたカクマ難民キャンプ(スーダン難民が大部分でソマリア、エチオピア等の難民も居住している。)の話に入っていく。正直なところケニア政府は、これらの難民には手を焼いているようだ。ケニア国籍を与えることはせず、キャンプを乾燥地域である僻地に設置して統合させる方向にあるようだ。この難民キャンプには最新の調査で10万人が居住している。難民たちは別に隔離されているわけではなく、UNHCRの監督のもと食糧等の援助を受けながら、ビジネス活動も行っているらしい。人の出入りは激しく、治安も悪いが、様々な公的施設(病院・学校・職業訓練施設・図書館など)があり、今活発になっている携帯電話を使った海外からの送金も受け取れるらしい。
ところで、難民キャンプの周囲に住む牧畜民トゥルカナは、1999年から2000年にかけて自らつけた年の名前「どいてくれ、(家畜の囲いの門を)あけるから」(実は干ばつで、家畜を失い最悪の年を、こう名付けて笑い飛ばしたわけだ。)のように、厳しい状況下にあった。
当然、二者は対立状態になるのだが、難民の薪需要を見込んで、トゥルカナの若い女性が中心になって薪を売るビジネスを始めたのだ。その収益で、難民キャンプで配布された援助物資のトウモロコシなどを買い、トゥルカナは生き延びるのだ。さらに青年や子供が難民に様々に雇用されていくのである。社会集団としては対立していても、モノの授受を介した個人的な友人関係は生まれていったのである。トゥルカナの女性と難民の男性の婚姻も行われているという。

このように、民族(スーダン人とトゥルカナ人のような)の壁は、必ずしも文化や道徳の共同体となっているわけではない。その壁を超えていく能力をアフリカの人々は持っている。個々人が相手に働きかける能力も持っている。相互交渉を積み重ねる能力も持っている。ポジティブな社会関係を主体的に形成する能力の高さをアフリカの人々は持っている。というのが、太田先生の現在の立場であるわけだ。

…太田先生の言われる「潜在力」という言葉は面白い。質問では、この難民たちとトゥルカナの関わりは、所詮グローバリゼーション下での貨幣経済ではないか?これはアフリカの伝統的な知ではないのではないか?というのがあった。太田先生は、「彼らの金の使い方は、欧米的な際限のない欲望に端を発した近代的なカネの使い方ではない。アフリカ的な金銭感覚で、トゥルカナにとっては、家畜のほうが財産である。」と言われた。…私にはその意味がよくわかる。
またこんなことも言われた。「ケニアでは、自動車が故障したら、純正部品をもってこなくてはならないという欧米的近代的発想ではなく、なんとかして代用品で済ませ、動いたらいいという発想がある。」とも。…これもよくわかる。こういう臨機応変な対応力(自然な生きる力)が、アフリカにはある。

社会科学的な視点ではなく、地域研究・文化人類学の立場から、アフリカの現場の力に紛争解決の可能性を見る、という話だった。この『アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究』、これからも目が離せない。

ところで、講座に向かうエレベーターで荒熊氏と出会った。ブルキナでの帰国間際の空港以来である。京都に仕事の関係で引っ越してこられたのだ。いやあ、なつかしい。ニジェールに通う生活をされているらしい。ニジェールは、「ホント、何もない国です。」とのこと。共に並んで今日の講義を受けたのだった。(笑)

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