ただ、息子は、そもそもアラビア語とイスラムの専門家であり、同志社大学の大学院でヘブライ語とユダヤ教も学び、修士論文もイスラム教とユダヤ教の比較を行っている在イェルサレム・ヘブライ大学に通う研究者である。イスラムに十戒などない、と大上段からバサッと斬って捨てている。現場の高校教師としては、到底この分野においては息子にかなわない。おそらく息子の指摘は当たっているのだろうと思う。
クルアーンに「十戒(十の戒律、「十戒同様、十の戒律が列挙されている箇所」)」など、ありません。
少なくともそのような言い方はしません。
そして(参照していると仮定して)原文の要約にもなってません。
少なくともそのような言い方はしません。
そして(参照していると仮定して)原文の要約にもなってません。
内容からして、おそらくクルアーン17章22節~39節に取材したと思われる(別の箇所かも知れないし切り貼りかも知れませんが)のですが、これを「十戒」などと呼ぶ伝統は聞いたことがありません。近代以降のユダヤ教の猿真似をしたい、アメリカ=イスラエルの勝ち組に対抗したい、という欲望が働いて提唱した資料や人物、あるいはこのようなことを述べる西欧文明産の比較宗教学者(さすがにいないと思いますが)がどこかにいるのかも知れませんが、少なくとも私の同僚・先輩の専門家に相談してもそんな「十戒」など知らぬ存ぜぬ(当たり前ですが)。日本人の専門家が書いた「まともな」イスラームに関する本でもこのような記述が出てくるようなことはあり得ません。少なくとも私は知りません。そして古典ではクルアーンのこの箇所を「十戒」などではなくむしろ「二十五戒」と述べる程です(例えばジャラーラインのタフスィール17章22節参照)。
詳細は、http://barhebraeus.blogspot.com/を是非お読みいただきたい。研究者というのは、真理追求のために、辛辣な言葉を批判に使うものらしい。それも真理を愛せばこそである。たしかに、この問題、過去問として、長らく残るであろうし、センター試験で倫理を受験する高校生は、イスラムにも十戒があると信じるだろうし、現場の倫理の教師の多くもおそらく同様だろう。それくらい、影響は大きい。息子同様、大変危惧するところである。
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