2011年8月31日水曜日

男の嫉妬は見苦しい 2

特別活動部の仕事が多忙になってきた。体育祭と文化祭同時運営は初めてなので戸惑うことも多い。ともあれ、今日のエントリーは昨日の続編としたい。今朝、モーニングで日本経済新聞を読んでいたら、前原前外相が民主党の政調会長となり、彼は党内で多くの議員が政策決定に参加できるようにしたいと考えているらしいことがわかった。

私は政治経済の授業を長らく教えているが、教科書にはあまり出てこない新聞政治蘭を読む知識が必要だと考えてきた。政策は、どこで決まるか?ということである。自民党の長期政権時代は、”政高党低”とかいう言葉があったりして、もう少し解り易かった。政府(=各省庁の官僚)と党政務調査会の各部会(各省庁に対応した組織された議員の部会)が、意見をすり合わせていたのだ。省庁から提案された法案は部会でもまれ、そこで決定されると、党政調会長や総務会での決済後、衆参の委員会に提出され、本会議へと進むわけだ。この政調部会、そして族議員ということがわからないと、昔の自民党時代の政治システムがサッパリわからない。

たとえば、ある新人議員がいたとしよう。彼は大蔵省の出身の元官僚だったとすると、すでに大蔵省のことはかなりわかっている。選挙区が地方で農業が盛んだったら、農林水産の部会に入り、勉強を始める。先輩議員について様々な政策を学ぶのである。農林省の官僚が政策をレクチャーにくる。省内に人脈をつくり、農業関係の圧力団体とも人脈を構築する。やがて、当選回数が増えると、政務次官(現在の副大臣)になる。これはその分野が得意だからなるのではない。所属する派閥の力関係も作用する。たまたま文部省の政務次官になったとしたら、政務次官の間は、文部行政について学ぶ。人脈も広げることになる。さらに、当選回数を増やすと、部会の理事になったり、衆参議員の常任委員会の委員長などを経験して、さらに専門的な知識や情報、人脈を得ることになる。関係団体の政治献金も受けやすくなる。(族議員になる利点はそういう面も強いので、政治献金が集まりやすい建設族とか金融族とか商工族、郵政族など関係する部会が人気だった。)ともあれ、複数の部会に属しながら専門的な知識と経験を深めていき、実際の政策決定に影響力を持つようになると族議員と呼ばれるのである。力をもつようになったら、当選6回(衆議院の場合)くらいから大臣候補となる。なんども大臣を経験した実力者こそが、派閥の長となり総理総裁を目指す、これが自民党の構造だった。

自民党政治の根幹となる政調部会と族議員。なかでも金権政治の根源だという批判が強い族議員だが、彼らは官僚と二人三脚で省が押す政策を実現したり、時には完全に官僚を抑えたりしながら、日本の政治を動かしてきたのだ。私は、このシステムが諸悪の根源だ、と思わない。少なくとも、今の民主党政権の知識も経験も不足している政治家よりは、”悪だったとしても力がある”と思うのだ。間違っても国連総会で日本の二酸化炭素削減で25%などという思いつき発言はしないし、沖縄の基地問題で無責任な公約を言って日米関係を危機に陥れたりはしない。まさにプロとアマほどの違いがある。昔いた山中某という議員など、税に関しては大蔵省の官僚よりも周知していた。まあ、ここまでいくと問題だと思うが、政治家といえど、一人の人間が極めれる知識も経験も限りがある。それぞれが専門性を持って勉強していくことは重要であろうと思う。勉強して力をもってこそ、官僚を使いこなせるし、政治主導も可能なのではないか。族議員となって「私」に走る不徳の輩は困るが、アマチュアの戯言は、もううんざりである。

小沢前幹事長が、党の政調会を破壊した理由はわからない。官僚と新人議員を分離し、美しき政治主導という御旗を立てたかったのか。専門性を学び、自らを脅かすような存在が育つことを良しとしなかったのか。ともかくも、前原前外相は、党の政調部会を再生しようとしているようである。

さてさて…。

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