トゥルカナ湖にて |
トゥルカナは、京大の4月の公開講座(4月16日付ブログ参照)で、太田至先生から詳しく紹介いただいたケニアの牧畜民である。彼らの社会生活は、『(トゥルカナのような)牧畜民は移動性が高いので、葛藤を引き起こすことを気にせず相手への直接的な働きかけによって問題を解決する。したがって間接的な解決法である「呪い」に訴えることは少ない。』しかし、間接的な情動的な対処(非直接的な問題解決といっていい。)が全くないのかというとそうでもない。それがこの論文の主題「サンダル占い」である。
「占い」といっても、占い師が1人でやるのではない。しかも相談者は親族や近隣の地域の者に限られており、占いには、相談者の生活史をよく知る人々が参加する。なんか、拡大親族会議みたいな話なのである。占いの相談者の訴えは身体不調が最も多い。その他レイディング(6月15日付ブログ参照)や行動異常、家畜の問題などらしい。
さて、占いは、問題が他者の「怒り」(呪いではない!)から来ているのかどうかの弁別である。(作道先生の調査では「怒り」と弁別されたのは55%)占い師は、サンダルを投げてその配置から独特の意味合いを読みとったり、サンダルに問いかけ、返事をもらい、心配の背後にある問題を明らかにするのである。トゥルカナでは、「怒り」を『腹の中に言葉がある』と表現する。
何度も何度もサンダルを投げながら、占い師は参加者とともに、相談者の内面に入っていく。ちょっと作道論文から引用してみよう。『やりとりは、相談者がサンダルへの問いかけを依頼し、占い師が答えを伝える占い部分、占い師が自ら出した判じを他の参加者とともに検討する検討部分、相談者が相手との確執を語り、占い師が聞き役に回る語り部分からなっている。占い場面は一方的に判じを下すのではなく、占い師や相談者などが考えうる想定を述べる共同検討の場となっている。参加者からも新たな想定がもちだされることもある。』
論文には、具体的な事例が載っているのだが、私の印象は、集団で行うカウンセリングといった感じである。自意識の強い牧畜の民が、このようなカウンセリング的なシステムを構築していることは驚きである。この「占い」では、”あなたは、かくあるべきだ”と相談者には決して言わない。相談者を問い詰めるような場面もあるが、あくまで自分で答えを見つけ出すようにもっていく。
つまり「怒り」の相手の「腹の中にある言葉」を取り出すとともに、相談者の中にある「腹の中にある言葉」を取り出すのである。
なんと"素晴らしき知恵の構造"であろうか。まさに、レヴィ=ストロース的だと私は感じた次第。
*本日の画像は『トリップ・アドバイザー』に帰属する画像です。無償使用可能のHTNL画像は、このブログには大きすぎましたので、JEPG画像で直接借用せざるをえませんでした。
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