2024年3月20日水曜日

軍務局長 武藤章を読む 4

https://studyhacker.net/prospect-theory
武藤章という人は、頑迷ではない。国際情勢を鑑み、当初自分が関わった日中戦争を終わらせ、日米開戦を回避するべきだと考えていた。これは意外である。日米開戦となれば海軍が主役で、やる気がないなら考え直すべきだとも言っている。どうも開戦時の首相・東條のイメージが悪いので、陸軍が開戦を主導したように見えるが、事実は異なるようだ。

しかし、アメリカの対日戦略により、日本は追い詰められていく。この新書では、興味深い理論が載っている。経済学における「プロスペクト理論」(画像参照)である。たとえば、A:確実に3000円支払わなければならない、B:8割の確率で4000円を支払わねばならないが、2割の確率で1円も支払わなくて済む。こういった場合、実験するとBを選択する人のほうが多いというのである。人間には「損失回避性」があり、Bに魅力を感じてしまうのである。

武藤は、開戦しなくとも3年後には資源が枯渇し、日中戦争も継続できず、アメリカとの外交交渉はさらに不利になると見ていた。開戦は希望なきリスクであり、国際情勢の推移(独ソ戦の結果が特に大きく影響する。)次第で、日本に有利に働くやもしれないと考えていた。

結局開戦したわけだが、武藤は3週間後には、東郷外相に「戦争はなるべく早く終結するのが日本に取って得策、東條には首相をやめてもらう必要がある。」と述べている。開戦の責任者が戦争を終わらせるのは難しいとの判断だった。同じ統制派であるとはいえ、武藤と東條は肝胆を照らす中ではなく、それが東條の耳に入ったのかどうかは定かではないが、現インドネシアの近衛師団の師団長として転出する。

サイパン島陥落の責任をとって東條が総辞職した後、武藤はフィリピンで指揮を取っていた「マレーの虎」山下奉文のの参謀長となる。皇道派だった山下とは実にうまくいっていた。綺麗好きの山下は、常にハエたたきを持っていたそうで、「老将の蝿叩きおり卓ひとつ」と詠んだ。この「老将」を山下は自分のことだと認めなかったというエピソードが残されている。

戦後、その山下奉文は、かつてマレーで敗北した英司令官立ち会いのもとで降伏文書に調印(彼はっその屈辱から自決しようと思ったらしい、)し、さらに軍事裁判にかけられ(銃殺なら軍事として戦死とみなされるが)絞首刑となる。見事な散り様であったことを米憲兵が記録している。彼は、後に武藤の東京裁判に関わる。

なぜ武藤章がA級戦犯となったかは、開戦当時、(凄腕で傲岸不遜という評判が誇張された)軍務局長であったということが最大の理由だと思われるが、なぜ死刑判決が出たのかはよくわからないというのが真実だろう。そもそも東京裁判が政治パフォーマンスであり、それを見切っていたが故に、山下奉文大将よろしく諦観して、判決時にニヤリとしたのだろう。私はその姿勢に「浩然之気」を感ずる。

0 件のコメント:

コメントを投稿