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昭和14年9月、武藤章は軍務局長に就任している。最初の仕事は、陸軍出身の阿部信行首相の意を受け、内閣強化のために、立憲民政党の町田忠次の入閣要請に出向いている。政治との関わりの最初である。武藤は留学以来、国際情勢に通じており、様々な論文も発表している。少し意外だが、政党党首の入閣については、超然内閣(政党との関係がない内閣)では、積極政策が実行できない故に必要だと認識していた。しかしこれはそれまでの陸軍と政党間の遺恨のため拒否された。武藤以前から陸軍の政治介入が行われており、元老の西園寺公望らは快く思っていなかったようだ。まずは政界の洗礼を受けたわけだ。
武藤は、WWⅠが総力戦であったことを何より憂慮しており、国力の増強を必要不可欠と考えていた。政党と議会が中心的な役割を果たす一国一党に近い、大政翼賛会の構想を持っていた。これは第二次近衛内閣で発足したが、「幕府的存在」という曖昧なカタチであった。とはいえ、第二次近衛内閣成立への武藤の存在は大きかったようである。ところが肝心の大政翼賛会は武藤の思いどおりには行かず、軍部の政治介入と言うには物足りない。
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