2024年3月6日水曜日

高校教育現場の社会学4

https://www.huffingtonpost.jp/2015/03/31/nikkyoso-jtu_n_6975298.html
高校教育現場の社会学第4回目は、少し書きにくいことをエントリーしたい。左右の話である。私などは、左右のど真ん中に位置していると今でも思っている。世代的には、左の洗礼を若干受けているが、社会科の教師として、今もど真ん中であるべきだと思っている。

私が新任の頃は、組合活動が盛んで、団塊の世代がそれを牽引していた。左と言っても、大阪は同和問題で対立があって、三宅坂ではなく代々木系であった。中には、スターリン的でドグマチックな人もいて、困惑したし、給料日(当時は現金で支払われていた)に、知事選のカンパを半ば強要されたこともある。事務室に組合の幹部が座って集めるのである。さすがに辟易としたものだ。転勤した工業高校では、幸いなことに中学時代の親友の恩師が組合の分会長で好々爺であられたので、頼み込んで組合をやめさせてもらった。ちょうど家を無理して買った時だったので金欠であるという理由である。ただし、他の若い先生には内緒という約束だった。と、いうわけで以来、非組合員となったわけだ。

組合の先生も千差万別で、学校の電話で生徒の保護者に選挙応援を依頼していた非常識な人もいた。しかし人柄の良い人も多かったし、意外と後に管理職となった人もいた。”つきあい”と割り切っていたのだろう。しかし、だんだんと組織率は下がっていったように思う。(画像参照)私より下の世代は、興味がないとして最初から組合に参加しなかった者も多い。

とはいえ、ウタハタ(業界用語で、国歌・国旗)が法制化された時は、管理職と組合の激突となった。ちょうど私は、職員会議(当時はまだ、校長の権限は今ほど強くなく、文字どおりの会議だった。)の議長を務めていて、まずは反対意見を聞いた。かなり過激な発言が出たが、出すだけ出してもらった上で、国会で法制化された以上は仕方がない、と説いておさめたという記憶がある。その時の校長が人格者で、組合側からもリスペクトされていたのが大きいと思っている。また私の職責を大人として十分理解してくれていたので、何ら尾を引くこともなかった。

ところで、だいたいにおいて、体育の教師は左ではない。理由はオリンピックで国を代表し、日の丸を揚げるのがアスリートの理想であるからだと親友に聞いた。他の教科では、同世代以上では左の人が多い。どの教科にもいたので、教科ではくくれないと思うが、社会科は比率が少し高いように思う。授業で堂々と自らの思想を語っていた人もいた。私は、それは違うと思っている。右も左も同様に語り、生徒の判断に任せるべきだと思うのだ。それがプロだ。

余談だが、右系の議員が、卒業式で国歌を斉唱していない教師を摘発しようとしたこともあった。これはこれで、私はいかがなものかと思う。歌う歌わないは、教師も生徒同様自由であるべきだと思う。私は思想はど真ん中だが、ボーイスカウトの指導者(短期間だが副長をしていた)としての経験から国旗は極めて大切に扱うし、国歌も歌う。

前述のように、団塊の世代が現場から去り、組合の組織率が低下し、左の価値観も1990年を境に大きく変化した。現状はどうなっているのか、正直なところ、いくらコミュ力に自信のある私でも非常に聞きにくい話なので、よくわからないという曖昧な結論になってしまうのだった。

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