2024年3月27日水曜日

アーネスト・サトウを読む。

息子が自宅に残している蔵書棚を見ていたら、アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新(上・下)」があった。以前から読みたいと思っていたので、これ幸いと読み始めた。ただ字が小さいので読みづらいのだが…。(笑)

第二章 横浜の官民社会に、意外だったというか高校の日本史では殆ど触れないような内容が記してあり驚いた。「横浜で外国の商人が取引の相手をしなければならなかったのは、主として無資本の、そして商売に無知な山師連中であったのである。契約の破棄や詐欺は、決して珍しいものではなかった。外国商人は、荷の渡る見込みのない商品購入を目当てに、こんな当てにならない男どもに大枚の前金を払ったり、相場が下がれば荷受けを拒絶して自分のふところを傷めぬようにする者どもを相手に、本国へ製品の注文を発していたりしていたのだ。生糸には砂が混じっていたり、重い紙紐で結わえてあったりするので、代金を支払う前に行李(こうり)を一々念入りに検査せねばならず、茶も見本通りの良質品と信用するわけにはいかなかった。(中略)外国人の間に、日本人と不正直な取引者とは同義語との確信が極めて強くなった。両者の親善感情などは、あり得べくもなかったのである。」

…その後にサトウが記しているが、当時の日本人の外国人を「夷狄」とする軽侮の感情故の話らしい。日本人同士の取引を行うまともな商人では考えられないようなことが幕末の貿易では行われていたのである。わざわざ「夷狄」と商売しようとする輩は、たしかに山師的だったのだろうと納得する。まあ、金銀の交換で、こそっと外国商人が大儲けしていたし、どっちもどっちかもしれないが…。生麦事件や攘夷の行動などに対する当時の外国人の対応について、こういう根っこが存在していたのだった。ともかくも、興味深い内容なので、少しずつエントリーしていこうかと思っている。

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