ニーチェの著者の捉え方は、①ニヒリズム②永劫回帰③力への意思の三局面から整理できるとしている。高校の倫理の教え方の順序とは少し異なるので、実に興味深い。
善や正義、真理、美などはすべて価値あるもの、追求し、実現すべきものとされている。こうした価値にはそれを勝ちたらしめている根拠、すんわち神とかイデアのようにこの世の外にあるものに与えられる。このような考えをニーチェは「二世界説」と呼び、現実の背後にあるまるで後光のような世界を「背後世界」と呼び、これは誤りであるとした。善悪は、現実世界内部の心理的社会的メカニズムによって生まれる。こんな寓話が紹介されている。「あるところに、富み、かつ平和を好む部族があった。そこに好戦的な部族が攻め入り、全てを奪い去ってしまう。破れた部族はどう考えるか?彼らは何一つ落ち度がない自分たちをひどい目に合わせた相手を悪い奴らと呼ぶだろう。それに比べて、何も悪いことをしていない自分たちは善い人である。こう考えれば、武力や知恵で太刀打ち出来ない相手に、せめて道徳的に勝つことができ、心理的優位に立てる。こうした弱者の強者に対する妬みや怨念=ルサンチマンこそが、善悪の期限である。」よって、弱者が自分たちの尊厳を守るために発明したのが善悪である。あたかも家畜の群れが密集し肉食獣の攻撃から身を守るように、弱者は身を寄せ合い、自分なりの尺度をつくり、一度浸ってしまうとルサンチマンは快い。道徳はこのような奴隷道徳であり、正義や禁欲などの他の価値についても言えるとする。すべての価値はルサンチマンによるものだから、価値はない。価値というものの価値を否定するのがニヒリズムである。こうして善悪の根拠たるイデアや神はお役御免となる。”神は死んだ”のである。
ニヒリズムは、全ての価値は欺瞞に過ぎないとし否定的な機能しかもたない。では何らかの建設的なビジョンはないのか?ネガティブとポジティブの間をつなぐのが、永劫回帰である。永劫回帰とはすべてが永遠の繰り返しで、結局良くもならないし悪くもならない故に何も変化しないということである。この事実のもとに、恐ろしさに怯えず、背を向けるでもなく、その事実を飲み込める存在が超人である。
超人にとって、全ては様々な力が相克しあう力への意志の所産である。プレートがぶつかり合ったり、パンの上で赤カビと青カビが勢力を広げようと拮抗している状態、大国同士が国境線をめぐって争っている状態など、複数の勢力が勢力範囲を広げようとしている状態、これこそがニーチェの言う力への意思であり、主体は存在しない。
著者は言う。超越的実体を否定し、全ての差異が諸力のせめぎあいよって生まれる流動性を肯定するニーチェの洞察は、陰に陽に現代哲学の基軸になっている。その意味でこれを哲学的思考図式Ⅳと呼ぶことができる、と。
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