青島駅 ドイツ租借地の残り香 https://4travel.jp/os_shisetsu/10417602 |
列強の植民地獲得の動機は、貿易上の利益、キリスト教の布教、国内の人口過剰や失業問題のはけ口として等があったが、日本の場合は、スタンフォード大のマーク・ピーティ教授が指摘する安全保障上の利益が中心であった。WWⅠ後の山東半島のドイツ権益(というよりも膠済鉄道が重要だった。中国の内戦への介入が、青島へ上陸すれば一気に容易になる故。)、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島、旧来の台湾、1910年の韓国併合をあわせて、海上輸送のルートを確保しているわけだ。
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このパリ講和会議では、ウィルソンの理想主義が喧伝されがちだが、大揉めに揉めた山東問題で、英仏米で立場が異なっていた。アメリカ(ウィルソン)は中国の主張を容認したが、仏のクレマンソーは、戦後の植民地分割について、日仏英伊露の間でお互いに認め合うという1917年に結ばれた秘密条約(露→ソ連が暴露)を持ち出した。ちょうど地中海の警備に日本が出てきたときに結んだもので、「日本が欲しいといったものにイエスと言わなければならない関係である。」と言い、英語のできない彼はその後一言も発しなかった。(いわゆる聞く耳を持たない態度である。)英のロイド=ジョージは、「(1917年の)ヨーロッパは大変苦しい状況で、日本は助けてくれた。中国への同情は疑う余地はないが、一度交わした協定は、思い通りにならなかったから破いてしまうような紙切れではない。」中国代表の反論をさえぎって「もしドイツが勝利者であったなら、ドイツが世界の支配者になっていた。中国もドイツの支配下になっている。アメリカは、まだこの当時ドイツに対抗する準備はできていなかった。」これには、ウィルソンも中国代表も黙るしかなく、日本の山東領有は是認されたらしい。
国家改造という視点で見ると、日清戦争後は普通選挙が必要という程度でいわば点。日露戦争後は実業家の議員などによる経済的運動で、いわば線。しかし、WWⅠ後は、パリ講和会議に自費で参加した少壮政治家やジャーナリストの影響もあって面に拡大したのである。欧米と日本の政治制度や社会制度の差を実感した彼らは、大きな危機感を持ったのだ。普通選挙や労働組合の公認、地主優遇の税制を改革、朝鮮・台湾など新領土の統治の刷新、既成政党の改造といった要求が出てきた。
その最も大きな分水嶺は、1918年、元老・山縣有朋は反対していた政党内閣(原敬内閣)を容認したことではなかったか。
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