1928年、ついに普通選挙法が施行された。当時の国民の約半数が農民で、3回選挙があったが既成政党は農民に冷淡であった。農村漁村の疲弊の救済は最も重要な政策と断言したのは軍部だった。統制派の永田鉄山が軍務局超時代に、「国防の本義と其強化の提唱」という陸軍パンフレットを作っている。エリートや熟練工は、兵士に徴兵検査は受けても召集されず、兵士の供給は農村が主だったことが大きい。パンフレットでは、WWⅠのドイツの敗戦の原因は、思想戦による国民の戦意喪失、革命思想の台頭と分析、国民を組織する重要性を説いている。これは政党政治では駄目だということが延長線上にある。さらにソ連の重工業化による国力増強が最大の脅威と考えた。ここでまた国家安全保障の理念が出てくる。来るべき航空戦に備え、華北地域を国民党政府の支配から切り離し対ソ連の安全圏を確保しようと考える。一方、満州や華北との交易が落ち込んだ華中の経済力が落ち込み、日本の対中貿易は悪化していた。これを中国の日本製品ボイコットとプロパガンダして、国民には悪感情を煽っていく。
さて。北京大学教授で、対日開戦時に駐米大使だった胡適は、実に優れた切れ者で野村吉三郎などひとたまりもなかっただろう論客であった。日中戦争開始前の1935年、「日本切腹中国解釈論」を唱える。中国は、アメリカとソ連の力を借りなければ救われない、日本が今あれだけ思うまま振る舞えているのは、アメリカの海軍増強、ソ連の第二次五か年計画がそれぞれ完成していないからで、日本もそれがわかっている。故に日本は中国に戦争を仕掛けてくるだろう。まずはに正面から引き受けて2・3年間負け続けるべきだ。そうすれば米ソが土俵にあがってくる、日本は自滅の道を歩んでいる、中国はその介錯をするのだ、という趣旨である。
…結果さえよければ、いくら民衆が戦死し不幸になろうとも、それが正義という、アメリカでデューイにじっくりとプラグマティズムを学んだ哲学者らしい論である。
この胡適と1938年に論争したのが、汪兆銘(国民党のNo2だったが日本の傀儡政権を南京に作った人物)で、胡適の言うようにしたら、中国はソビエト化してしまうと反論した。これもまた1949年に実現する。とにかくも、中国は日本軍によって常識的には降伏する状態であったが、戦争をやめなかったのである。これが日中戦争の本質であるようだ。…現在の世界を考える時、決して過去の話ではない、と私は思う。
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