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https://weekly-economist. mainichi.jp/articles/20210 803/se1/00m/020/016000c |
「不識塾が選んだ資本主義以後を生きるための教養書」(中谷巌/集英社インターナショナル)の小川尚登氏の西田哲学のコラムの続きである。難解な「絶対矛盾自己同一」について。小川氏はこれを現代風に言うと「創造するための方法論」だとしている。この言葉は閉塞する現代において矛盾に満ちた世界を矛盾のまま捉えることが必要だということを強く我々に突きつけている。神を超え、理性で超克できる様に見えた人類の文明は臨界点にさしかかっている。民主主義も資本主義という制度のあり方を根本から問い直し、議論を進める必要があるということである、とも。西田哲学は、「問い続けよ」と言っている。この絶対矛盾という言葉は重い。相互理解し寄り添っていくということは不可能だという認識のもと自己同一を達成せよということなのである。
和辻哲郎は、風土の中で、日本人の特性を「しめやかな激情、戦闘的な恬淡(てんたん:あっさりとしていること、執着しないこと)」と表現している。この言葉の矛盾に満ちた言葉の背後の影を感じることこそ、西田哲学の純粋経験であり、絶対矛盾自己同一であろうと小川尚登氏は締め括っている。…なるほど。面白い。
中間試験後は、倫理の授業は日本思想史に突入するのだが、和辻哲郎から入ろうと考えている。日本の思想を全体的に把握するのにふさわしい思想家であるからだ。
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