2023年5月16日火曜日

第7代から第11代イマーム

https://www.al-islam.org/gallery/photos/image11th.htm
「シーア派イスラーム」にはあえて記載がないのだが、その後のイマームについて調べてみた。第7代イマームは、ムーサー・カーズィム。21歳の時、父の跡、イマームを継いだが長男ではない。長男イスマイールを支持していた者は、分派してイスマイール派を立てた。第7代はアッバース朝によって獄に下され数年後毒殺されてしまう。ちなみに、イラン革命の指導者ホメイニ師は彼の子孫だと称していいるそうだ。第8代イマームは、アリー・レザー。アッバース朝がちょうど2つに分割された時期で、マアムーンは、シーア派の歓心を買うためイマームを呼び寄せ、後継者だとした。しかし、後継者のまま毒殺されてしまう。第9代のイマーム、ムハンマド・タキーは、8歳でイマームを継承した。マムアーンが庇護し、地位を保った。当初イマームの知識の継承が危惧されたが、先代の知識が瞬時に移ったかのような姿(ウラマーとの公開討論)を見せた。マムアーンの死後は著名な学者として人気を博した。アッバース朝カリフの教唆で妻の手にかかって急逝したと伝えられている。第10代のアリー・ハーディーも6歳でイマームを継いだ。軟禁生活を余儀なくされ、シーア派は弾圧された。しかし、彼は様々な言語(ペルシア語・スラブ語など)を取得し、予言者としても有名であった。39歳で毒殺されている。第11代ハサン・アスカリーもまた、軟禁されて毒殺(27歳)されたのだが、クルアーンの解釈書を著している学識者であった。

というわけで、第7代のイマーム以降は学識は保持しているものの、アッバース朝による軟禁と毒殺の歴史なのである。

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