スペンサーの社会進化論は、1859年のダーウィンの「種の起源」が発表され、彼の進化生物学の影響のもと形成されていく。まず「社会静学」で社会有機体説という仮説をたて、「科学の起源」「心理学原論」で精神や文化にも進化がありうると説く。社会の進化や文化の進化には、「異質」が生じることによって起こる。同質的な社会から異質なものが出てきた時、それを総合的に捉えさえすれば、必ず進化が確立されると見たわけである。
…そもそも私が、倫理の授業でスペンサーやコントを重視しないのは、西洋哲学の木という学習プランの周縁に位置すると考えていたからである。変に寄り道せず、ヘーゲルから現代思想、構造主義・ポスト構造主義と学習を進めるほうがわかりやすいからである。
19世紀後半の世界史は、進歩史観がたしかに基盤にある。ちなみに現在にもそれは永続しているように思われる。かの1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」であった。こういった進歩への無知のベール的な信頼に対し松岡正剛は疑義を挟む。『ダーウィニズムもマルクス主義も社会ダーウィニズムも、不均衡なシステムの割れ目にこそ生じていくからいいのではないかと思います。むろんそのヴィジョンや方法が当初は世界に広がる可能性をもつというふうに語ることは必要なことでしょうが、しかしながら、そのことと、その思想が世界を覆って人々の信念を牛耳るということは、全く別なことなんですね。』
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、帝国主義列強は世界の84%を支配した。この背景には工業力があり、鉄鋼の生産力が軍事力や国力を押し上げた。20世紀初頭の工業力は、100年前と比べてイギリスは2倍、アメリカは3倍、ドイツは4倍。(ちなみにロシアは9倍。:これらは元の数値との比較である。)肥料・染料・薬品・プラスチック化合物などの多くはイギリス以外の国で技術開発された。パクス・ブリタニカの危機であった。ヨーロッパの人口は異常に膨れ上がり(2億人から4.5億人)、国境をまたいで人口移動が起こった(4000万人がアメリカ、オーストラリアや南米に700万人が移住)のも20世紀初頭の特徴で、これらはジャガイモの普及による人口支持率の上昇と医療の発達によるものと言われる。やがて、アメリカとドイツがイギリスを抜き去るのである。
これら流れの根底に、進化論的な「自然淘汰」から「優生学」があり、そして「ドイツ帝国は世界帝国となる」と宣言したヴィルヘルム2世の「黄禍論」と発展した。3B政策と3C政策が取られ、やがてオスマン・トルコでの英独の衝突=WWⅠとなるわけだ。
こうしてみると、スペンサーの社会進化論は、たしかに大きな存在ではある。でもやはり倫理で教えにくいのは確かだ。(笑)
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