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百年戦争の原因を作ったエドワード3世の男子、黒太子の息子はリチャード2世。そこでこの血筋は絶える。ジョン(ランカスター家)の息子がヘンリ4世、そしてヘンリ5世と続き、仏王シャルル6世の娘カトリーヌと結婚してできた幼王・ヘンリ6世となる。
エドワード3世のもう一人の息子エドモンドの血筋がヨーク家で、ランカスター家は和平派、ヨーク家は主戦派であり、権力闘争を繰り広げていた。百年戦争に敗れヘンリー6世は精神錯乱になり、1455年第1次セント・オールバーンズの戦いで内乱の火ぶたが切られた。
以後、第一次内乱(ヨーク公の長男エドワードが、エドワード4世として王位につき、ヨーク朝が成立)、第二次内乱(一時的に復位したヘンリー6世・王太子をはじめランカスター家の王位継承者は根絶やしにされた。)、第三次内乱(エドワード4世が急死、弟のリチャード3世が幼い遺児エドワード5世を差し置いて即位、国内は混乱した。フランスに亡命していたランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダーが1485年兵を率いてイングランドに上陸、ボズワースの戦いでリチャード3世を打ち破り、ヘンリー7世として即位、エドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚しヨーク家と和解し、テューダー朝が開かれた。)という経過をたどる。
*ヘンリ―・テューダーの祖父オウエン・テューダーはウェールズ君主の血を引く下級貴族だが、ヘンリー5世の未亡人でフランス王女カトリーヌ(キャサリン)と結婚したので、彼の父は、ヘンリー6世の異父弟となる。
バラ戦争後、イングランドの貴族は、戦死や処刑、嫡出男子の欠如による家門断絶などで25%程度減少した。公爵や伯爵と言った大貴族はほとんど姿を消した。ヘンリー7世は貴族数を抑制し、1485年の即位時の50家が1509年の死亡時には35家になっていた。断絶した貴族の所領は王領地化された。また、貴族の私兵の抑制もはかり、最初の議会で私兵(従属団)を保有しないことを制約させた。地方統治には、国王にとって危険な貴族に頼らず、ジェントリ(郷紳)に依存しようとするランカスター朝・ヨーク朝の政策が継続されたが、その達成には長い時間が必要だった。このような絶対王政の基礎を固めたが、コモン・ローや議会の制約の為、フランスやスペインのような強力な中央集権化には至らなかった。
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