2021年12月9日木曜日

受験の世界史B 研鑽ー6

まず、昨日の研鑽で出てきたイコノクラスムの話の付記から。倫理で、正教会を教えるとき、その特徴的なものの一つに「イコン」がある。レオン3世は、このイコンを偶像刷拝の1つとして迫害した。それ以後も迫害があり計2度テオドラ、エイレーネー(左の画像)という女帝が解禁した。私はNYでロシア正教会、イェルサレムでアルメニア正教会の教会内部に入ったことがあるが、イコンは、蝋燭に照らされ、なかなか幻想的である。

地理では、ヨーロッパの宗教事情も扱う。南ヨーロッパとフランス、ドイツ南部とオーストリアは、ローマカトリック。旧ユーゴでも、スロベニアとクロアチアはローマカトリック。東欧ではポーランドがカトリック。バルト三国でもリトアニアはローマカトリック。ギリシアと東ヨーロッパの多くは、正教会。そのルーツが、今回のスラブ人の動向部分である。

スラブ人はインド=ヨーロッパ系で6世紀以後東ヨーロッパに拡散したようだ。後のロシア人、ポーランド人、チェック(現チェコ)人、スロバキア人、クロアティア(現クロアチア)人、セルビア人、ブルガール(現ブルガリア)人などである。そこにアジア系のマジャール人(現ハンガリー在)、ラテン系のルーマニア人も共生していた。

南スラブでは、セルビア人が9世紀頃キリスト教を受容、11世紀にはセルビア(ゼータ)王国を建設、ビザンツの実質的支配を受けていたが、徐々に勢力を拡大14世紀、ステファン=ドンシャン王時に最盛期を迎えバルカン半島西部を支配下に置いたが、その後コソヴォの戦いでオスマン帝国に敗れ従属することになる。また、9世紀、クロアティアとスロヴェニアがフランク王国の影響下となりカトリックを受け入れ、14世紀以後は神聖ローマ帝国(オーストリアおよびハンガリー)に組み入れられる。ボスニア・ヘルツェゴヴィナでも北部や東部はカトリックを受け入れたが、西部では正教会を受け入れた。地理的に周囲と隔絶していたこともあり、15世紀にオスマン帝国の支配を受けるまでは独自の地域分化の発展を遂げた。…このあたり、チトー亡き後のユーゴスラビアを念頭にまとめると、この頃からその混乱のルーツがあることを実感できる。

ブルガール人は、元々はトルコ系の遊牧民であったようだがセルビア人と同化し定住した。847年に第一次ブルガリア帝国のポリス1世は、ビザンツ皇帝を代父(信仰の証人)として正教会を受けいれ、スラブ語での典礼を用いて正教会を根付かせた。ビザンツ帝国とは和平と競合を繰り返したが10世紀に北からのペチェネーダ人やキエフ公国、南からビザンツ帝国のパシレイオス2世によって滅亡した。しかし12世紀には首都をタルノヴォに置き第二次ブルガリア帝国を樹立。しかし13世紀後半には内政の混乱とモンゴルの攻撃受け、14世紀末までにはオスマン帝国に併呑される。また、ルーマニア人は、14世紀にトラキア公国、およびモルドヴァ公国を建て、オスマン帝国に貢納することでその後も自治を認められる。…現在のモルドバのルーツもこの辺にあるのだった。

今日のロシア=バルト世界を構成する国々もこの時期に成立をみた。現スウェーデンン系のノルマン人のルス(ルーシ)人が862年ノヴゴロド国を建国した。これがロシアの起源である。また882年、ドニエプル河沿いにキエフ公国を建国した。いずれも東スラブ人と同化して定住した。キエフ王国は黒海・バルト海の交易の中継地として栄え、キエフ大公・ウラディミル1世の時に、ビザンツ帝国のバシレイオス1世の妹と結婚し、正教会に改宗、国教化した。しかし、ポロヴェッツ人(キプチャク)の攻撃に苦しみ12世紀までに公国は形骸化、諸侯国に分裂し、13世紀半ばにはキプチャク=ハン国への従属を強いられた。(タタールの軛:くびき)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC
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キプチャク=ハン国のもとで、モスクワのイヴァン1世が大公の称号を許されたのを機にモスクワ大公国(1480年独立)が諸侯国の中で優勢となる。ドミトリー=ドンスコイ大公の時、クリコヴォの戦いで、キプチャク=ハン国を破り、ティムールの攻撃も受け弱体化したキプチャク=ハン国は分裂衰退した。その後、イヴァン3世は、ロシア諸侯国を統一して、「タタールの軛」からロシアを開放し、統一法典を整備した。ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世の姪ゾエ(ソフィア)と結婚し、ビザンツ帝国=ローマ皇帝権を継ぐ皇帝(ツアーリ)を名乗った。モスクワが第三のローマと呼ばれるのはそのためである。その孫のイヴァン4世=雷帝の代にロシアはモンゴルを駆逐し、ポーランドを抑えて大国としての地位を獲得する。

…中世の東欧の歴史も意外に面白いのであった。

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