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私なら誰にするだろうか?「偉人」と言われたら、真っ先に浮かぶのは、山岡鉄舟だが、教科書には載っていなかった。この「偉人」という語には、完全無欠なイメージがある。うーむ。緒方貞子さん?中村哲さん?緒方さんも中村さんも最近過ぎて日本史の教科書には載っていない。なかなか難しい課題だ。
だとしたら誰だろう?私が日本史で詳しいのは幕末維新だが、「奇人」ならたくさんいる。
佐久間象山とか大村益次郎とか、高杉晋作とか、魅力はあるが、「偉人」というより「奇人」であると思う。かの吉田松陰も、純粋な革命家としては「奇人」の部類で「偉人」ではないと思う。私は勝海舟が好きだが、「偉人」と呼ぶには、あまりにハッキリものを言いすぎているかな。
会津藩の松平容保も好きだが、不運な人で、藩是から佐幕側に立たざるを得なかった。京都守護職という立場が後の歴史から見て悪すぎる。孝明天皇が最も信頼し、宸翰(しんかん:蛤御門の変の際に賜った漢文の文章)が与えられていたが、竹筒に入れたまま死後まで公表されなかった。会津の尊王の立場を示す決定的証拠を持ちながら、孝明天皇の想いを大切にしたわけだ。この「義」が凄い。「偉人」の資質をかなり持っているが、歴史的に、立たされた立場的に「偉人」と呼びにくい人物である。
徳川慶喜は、反対に資質はともかく「偉人」的な歴史的業績を残したと私は考えている。水戸学のDNAを発揮して、賊軍となることを徹底して避けた。結果的に英仏による植民地化を避けることに成功した。この歴史的な功績は大である。ただ、鳥羽伏見の戦いの逃げ方は、とても美しいとは言い難い。それ以前の振る舞いも英俊ではあるだろうが、人間的には疑問が残る。完全無欠な「偉人」とは言いにくい。
大久保利通は、明治新政府の設計図を書いた「偉人」であり、その是非はともかく功績は、維新の三傑の中で最大だと思う。ただ、超弩級の陰謀家・岩倉具視と共謀して錦の御旗をつくり、幼い明治天皇を立てたのは、歴史の闇の部分としてどうしても消せない。大久保もまた完全無欠のイメージの「偉人」ではないだろう。大久保から見れば、西郷も木戸も伊藤も山縣も板垣も大隈も江藤もその偉人度は下がる。
竜馬は、「偉人」といより、「英傑」だろう。たとえグラバー商会の工作員だったとしても、浪人の身分で海援隊を動かし、中岡慎太郎と共に薩長同盟を作り上げた行動力はたしかに凄い。だが、薩摩も長州も竜馬の大政奉還路線を否定した。暗殺されたのは悲劇でも何でもない。当時としては、当然の結末に見える。よって、いかに魅力的でも「偉人」と見るのは違う気がする。
よって、この幕末維新の4人の中では、松平容保が最も「偉人」に近いかな、と思う。
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