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今年もあまり本を読めなかった。通勤時間が車で5分であること、近くに本屋がないことなどがその理由であるが、ありがたいことに貴重な1冊を今年は読めた。出口治明APU学長の「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)である。正確に言うと、今日ほんの数ページ残していたのを一気に読んだ。サルトルの終わりからレヴィ=ストロース、そしてあとがきである。
あとがきに、著者の簡潔な一文がある。『振り返ってみると、神の存在を考え出した人間が、やがて神に支配されるようになり、次に神の手からもう一度自由を取り戻したところ、その次には自らが進歩させた科学により左右される時代を迎えています。それでもこの時代に人間が招き入れた科学的で冷厳な運命を受け止め、それを受け入れてなおかつ「積極的にがんばるぞ」と考える人たちが少なからず存在しているのです。』
…あとがきの直前に書かれた、サルトルのアンガージュマンとレヴィ=ストロースの構造主義を対比しつつ読むとこの文章の意味はよくわかる。レヴィ=ストロースは「社会の構造が人間の意識をつくる。完全に自由な人間なんていない。」とサルトルのアンガージュマンを否定した。著者は人間の主体的な自由意志の存在を前提にしている刑法の例を引いている。我々の生きる知恵としての自由意志の存在…。たしかに現在の哲学的地平ではそうなる。
…アメリカで世界史的な事件が起こっている現在、社会の構造はグローバリズムであると言えるだろう。これを構築したのは多国籍企業であり、国際金融資本だ。時代のコードはITマネーゲーム(中国的に言えば拝金主義)であり、我々はそういう社会に生きている。今回のトラさん陣営の戦いは、主体的な自由意志(神の意志と信じる人々をも含む)を捨てないというアンガージュマン的なものだと感ずる次第。
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