2019年10月9日水曜日

三崎の秋祭りなのだ。

毎年10月9日に行われる三崎の伝統の秋祭り行事が、三崎港でおこなわれた。牛鬼と呼ばれる黒い牛と、四ツ太鼓と呼ばれる一方が長い神輿が戦うのである。(この神輿には太鼓を叩き掛け声を発する子供が2人乗っている。)三崎港に海をバックに足場が組まれていて、牛鬼が幾本もの棒によって逆さに立たされる。そこに、神輿が立てかけられる。牛鬼が下から綱で引っ張られ落下、これを神輿がこらえる。勝敗は上になったほうが勝ちだという奇祭である。
牛鬼は平家、四ツ太鼓は源氏で、源平合戦らしい。互いの陣営には大阪で言うだんじりのようなものがあり、平家と源氏を象徴していた。三崎を東組と西組に分けて東組が牛鬼、西組が四ツ太鼓となっているそうだ。これは、祭りの1時間ほど前に西組のおじさんに聞いた話で、私たちの住む教職員住宅は東組で平家になるそうだ。東組=平家が勝つと漁業が大漁、西組=源氏が勝つと農業が豊作になるといわれているらしい。

さてさて、私たち夫婦の感想。その1。四ツ太鼓には4人ではなく2人の小学一年生の男子が乗ってずっと太鼓を叩き、掛け声をかけ続けていた。約1時間休みなし。しかもシーソーのように動いたり、ぐるぐる回されたり、勝負の時には凄い角度で太鼓を叩き続けていて、夫婦ともども心配していた。ちょうど隣にその男子のお母さんがいて、よけい心配になったりした。牛鬼は小さな子供はいないので、ついつい敵ながら西組=四ツ太鼓を応援していしまうのであった。(笑)
話を聞いた西組のおじさんによると、昔は骨が折れようが関係なしの勝負。地域で年少者が大人に指導されるという良き地域の絆が、この祭りで培われ、今はソフトにはなったもののそれは生きているらしい。また昔は長男だけが、この四ツ太鼓に乗る資格があったらしいが、少子化で、そのような制限はなくなったとのこと。
私たち夫婦の感想、その2。牛鬼を足場に設置するのにかなり時間がかかる。当然の話なのだが、なかなか始まらなかった。(笑)勝負は一瞬で、まさに相撲。呼吸を合わせて牛鬼は綱を引き、四ツ太鼓は踏ん張る。四ツ太鼓の一番下には、まさにラグビーのスクラムのようなフォワード陣が支えていた。うん、まさに相撲である。だから、相撲甚句が歌われるのだと思う。

この戦い、3回勝負らしい。1回目も2回目も四ツ太鼓が勝って中休みに入った。物理学的に考えて、竹や藁、そして布で作られた牛鬼の重量より、しっかりした木でできた四ツ太鼓の方が勝っているような気がする。この推察にはおまけがあって、後で寄ったローソンで、ばったりと学芸員のTさんにお会いしたので、その話をすると「昔は牛鬼が10mくらいあって強かったらしいです。」なるほど、西組のおじさんは、「最近真竹も買うようになったし、竹職人もいなくなったって…云々。」と言っていた。牛鬼が予算や技術面で小さくなっているらしい。そいいう社会的な側面もあるのかもしれない。

今日は三崎高校は3限目で終了なのだが、塾のこともあり、中入り後を見ずに帰ってきたので、三回戦はどうなったのか知らない。三崎高校の若い先生方が東組で参加しておられたので、いつか聞いてみようと思う。
参考:http://www.dydo-matsuri.com/archive/2018/misaki/

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