https://polandball.fandom.com/wiki/Kurdistanball |
クルド人の独立は、オスマントルコ帝国末期に民族主義が高まり、第一次大戦後の1920年にスルタン・メフメト6世と連合国との間でセーブル条約で保障されたものの、希土戦争に勝利したケマル・アタテュルクとの権力闘争にメフメト6世が敗れ、新たなローザンヌ条約では独立が取り消された。この2つの条約には、日本も連合国の一員として批准している。これによって、トルコは近代国民国家となっていくのだが、クルド人はその犠牲になっていったわけだ。以来、トルコ、シリア、イラク、イランといった国々に分裂させられたクルド人は、独立を目指しそれぞれの国で組織を作り、自治権の獲得を目指していたわけだが、なかなか1つの組織にまとまれなかったことが悔やまれるのかもしれない。
https://jp.reuters.com/article/kurds-history-idJPKBN1WV07D
民族の自決などという言葉は、現実の国際政治の中では実に空虚である。結局は軍事力の優越という問題になる。私はクルド人と縁もゆかりもないが、歴史に翻弄されたこの民族の悲劇について世界が考えるべきことの一つだと思っている。例の国連総会のスウェーデンの怒れる少女ではないが、クルドの怒れる青年の声も国連の場で聴いてみたいと思うのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿