十三にある映画館・第七芸術劇場に、広河隆一氏の映画「人間の戦場」を見にいってきた。先日エントリーしたように、妻の付き添いなのだが、パレスチナ・チェルノブイリといった私も大いに興味をもっている地域を中心にジャーナリストとして活躍されている氏を追ったドキュメンタリーであるので楽しみにしていた。
タイトルの「人間の戦場」とは、広河氏が人間の尊厳が奪われている場所をこう呼んでいるところから来ている。広河氏の出発点は、早大卒業後に渡ったイスラエルのキブツである。60年安保世代で、社会主義的な集団農場・キブツに憧れたのだという。しかし、そのキブツの広大な農地に残された残骸が、パレスチナ人が住んでいた村であること知り、またパレスチナ人への過酷な人権侵害を知り、親パレスチナ・反シオニズムの立場に変わっていった。
映画もパレスチナから始まる。パレスチナ人たちが(おそらく入植地拡大に対して、安息日の礼拝後に)デモを行うシーンだ。14歳の少女の写真、(彼女はイスラエル軍の兵士が怖くて逃げたただけでテロリストの疑いを受け収監されているという)を持ち、パレスチナの旗を持ち20人ほどで、抗議の声を上げながら歩き出す。その先には、イスラエルの警察車両と数人の警官がいる。まるで、お約束ともいうように催涙弾を打ち出す。これを広河氏がガスマスクを付けながら、ニコンのシャッターを押しながら記録する。広河氏は、ジャーナリストの存在・その取材されることへの恐怖が、権力側に、そこを人間の戦場化することを躊躇させる効果がある、と言う。
しかし、広河氏は、ベイルートで、世界中のジャーナリストが集まっていながら、人間の戦場化(パレスチナ難民への大虐殺)を防げなかったことを今でも悔いている。ジャーナリストである前に、一人の人間として、目の前に溺れている人がいたらカメラを置いて助けるべきだと信じている。
だから、パレスチナの子どもの里親運動や、チェルノブイリ子ども基金(チェルノブイリの影響を今も受けている子どもたちを保養させる施設を運営、保養後20~30%も体内の被爆量が減少するらしい。)、沖縄球美(くみ)の里(フクシマで被爆したり、汚染された地域で暮らす子どもを沖縄の久米島に無料で呼んで保養させる運動)などの市民運動家としても活躍しているのである。
チェルノブイリへと向かう列車の中で、広河氏は、これだけ現地を取材しながら、当時、フクシマでは何もできなかったと嘆く。常に、自分に何ができるかを考え続けているのが、広河氏なのである。✖✖ドロボウ扱いされている復興担当大臣との格差はあまりに大きい。反知性的な政治家に、そんな覚悟があるのだろうか。
今年フクシマで、帰村が許可された地域の放射線量は、(同じ放射線量の)チェルノブイリの地域が今も廃墟のままであることもわかった。それでも、次から次へと子供たちへ被爆の負のスパイラルが続いていく。これが、真実であるらしい。
2015年12月28日月曜日
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