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「舞台に立つ時、客席の一番後ろに立っている十四歳の自分が笑っているかどうかを想像することがある。残念ながら大抵は笑っていない。」
と、文章は始まる。又吉氏によると、「十四歳の自分というのは、お笑い芸人になりたいと本気で考えたはじめた頃の自分」だということだ。「文章を書くときは十九歳の自分を意識する。素晴らしい小説との出会いが沢山あって救われたのが、十九歳の頃だったので、その頃の自分が面白いと楽しんでくれるものを書きたいという思いがある。」そうだ。
これに続く「現在の、三十五歳の僕は僕だけでなく、過去の自分達がいたことによって存在している。」という文は、実に文学的であり、哲学的である。
実は、ここから未来の自分のあるべき姿へと話が進む。”今を考え、明日を想う年金”の広告だから当然だが、私が感じ入ったのは、この一節なので、少し考察したい。
仏教的には、今この時の自分に、あらゆる因縁果報が内在していると説く。因とは直接的原因、縁は間接的原因、果はそれらの結果、報はそれらの報いである。ふと、今の自分を振り返ってみる。先日、35年の永続勤務表彰を受けたベテランとしては、決して良い因縁ばかりを積んできたとは思えない。(笑)失敗を無数にしてきたと思う。とはいえ、良い因縁も積んできたつもりである。自分を追い込んで、逃げずにやってきたとも思う。
その結果が今の私である。なにより傲慢な自分を冥伏(その存在を無にはできないが、表面に出ないようにする)させること、生徒との約束を破らないこと、人間関係においては、何より人情の機微を大切にすることを意識してきた。、
とはいえ、又吉氏の文章を読んで、思い出したのは過去の過ちばかりだった。(笑)あんなこともあったなあ。こんな失敗もしたなあと、改めて二十代、三十代の自分が、今の自分を追いかけてきたような気がした。文学の持つ力とは、こういうものかと思うのだ。
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