「やはり、出てきた。」という感じだ。モーニングで朝日新聞を読んでいたら、自民党の文部科学部会で、選挙権が18歳になったことを受けて主権者教育の提言をまとめたらしい。「政治的中立」から逸脱した高校教員に罰則を科すために政府に関連法の改正を求めたという。提言では、「教員の日々の指導や政治活動については、政府として政治的中立の確保を徹底すべきだ。」と指摘。学校現場では政治参加を促す教育をする際は、「教員個人の考え方や特定のイデオロギーを子供たちに押し付けるようなことがあってはならない。」と明記。WEB版にはないが、朝刊には、その罰則は、「懲役3年以下、100万円以下の罰金」とあった。
http://digital.asahi.com/articles/ASH725Q1SH72UTFK01C.html?_requesturl=articles%2FASH725Q1SH72UTFK01C.html
今回の18歳の選挙権、実は私は賛成ではなかった。その理由は、こういうコトが出てくるのではないか、という危惧があったからだ。公立高校の教員が、特定のイデオロギーを生徒に吹き込むような授業をしてはならないと私も思う。プロとして失格だと思う。だが、今回の提言でいう「中立性」とは何か、極めて曖昧である。結局、時の政治権力が主張することが「正義」である、それだけを教えろ、という奢りを強く感じてしまうのだ。
例えば、今回の日本の世界遺産への韓国の姿勢を授業で取り上げたとして、政治的中立というのは、どの辺なのだろう。韓国との50年前の日韓基本条約で締結されたこと、すなわち様々な保障はすでに国家間で決着済みという事が「正義」なのだろうか。だから、韓国の主張は非合理なのだろうか?政府が、国際情勢の変化を理由として安保法案を論じることが「正義」なら、50年前との日韓の関係の状況変化を見て判断することも「正義」であると言わねばならない。それが、社会科学的ロジックというものである。あらゆる問題において、社会科学は、複数の解答をもつ。人文科学的に見るとさらに多くの解答が生まれる。これが「政治的中立」だと確定するのは極めて難しい。
ちなみに私は非組合員である。政治を語る場合は、様々な意見を並立して、生徒に自分の意見をもつよう促している。ただし、私は定年を間近に控えるベテランである。(ちょっと傲慢な言い方で気が引けるが)様々な意見を並立させるだけの教養と実力を持っている。だが、全ての社会科教員に可能なことではない。大学を出たての若い人もいる。経済効率を優先されて講師という身分の人も多い。そんな高校の社会科教員に「政治的中立」を罰則(懲役3年、罰金100万円とはホント凄いな。)を盾に迫るというのは、いかがなものか。ただただ萎縮して、教材研究で様々な立場の本を読むことにブレーキがかかるだけのことではないか。そして教師の質の低下を増幅させるだけのことである。同じ与党の公明党が言うように、これまでの公務員の服務規程で十分である。
今の権力を握っているヒトビトは、そういう事もわからないのかと暗い気持ちになる。
今日の画像は、私たちの年代では必読の書だった本多勝一。いずれ、この本の内容を、たとえ並立的にでも政治経済で教えたら罰則が課せられるかもしれない。これって、夢ではないのか?まさか1940年代のワイマール共和国での話ではないよな、と思うのだ。
2015年7月9日木曜日
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